真夜中のレスキュー

 ライブの後すぐ地方ロケにすっ飛んでって、ぎゅうぎゅうのスケジュールをこなして深夜二時に帰ってきた翌朝からレッスンの遅れを取り戻しつつ作曲とコラムの納品。俺じゃなくてそーちゃんの話だ。お風呂の後、ソファーでぶっ倒れてたけど、ヤマさんが声をかけたらシャキッと起き上がって、部屋に戻った。なんで知ってるのかというと、それとなく近くにいて見てたから。
 来るだろうなと思って、ベッドはキレイにしといた。シーツは替えたし、ぬいぐるみもどかした。思ってたとおり、そーちゃんは枕を持って来てくれた。心底ほっとした顔で布団に潜り込むところを見守って、頭を撫でながら「おやすみ」って言ったのが、数時間前。
「んっ……んぅ、う、うぅ……」
 うめき声とともに、腕をぎゅっと掴まれて、目が覚めた。なんだか、布団の中がほんのり暑い。「そーちゃん……? 泣いてんの?」
 髪をかき上げてやったら、汗で濡れていた。いつも俺よりひんやりしているそーちゃんの皮膚が、どこを触っても火照ったように熱い。表情をよく見ると、眉がぎゅっと寄っていた。泣いてるんじゃない。うなされてるんだ。
「そーちゃん……そーちゃん、起きて」
 肩をトントンと叩いたら、そーちゃんはすぐに起きてくれた。息をだいぶ詰めてたみたいで、はぁはぁと全身で呼吸している。
「び、びっくりした……」
「ごめんな、起こして」
「……ゆ、夢が」
「夢?」
「大きなあんまんに……閉じ込められて」
「あんまん?」
 何言ってんの? と思ったけれど、はふ、と息を荒げながら説明しようとするから、ひとまず最後まで聞くことにする。
「君が……食べたら出られるって、言うんだけど……お腹いっぱいに、なっちゃって」
「俺もいんだ……」
「僕も、頑張ったんだけど……やっぱり、甘くて」
 出られてよかった……なんてため息ついてる。相当大変だったみたいだ。話はこれで終わりかな。少し待ってやってから、そーちゃんのおでこに手のひらを当てた。
「そーちゃん、熱ない?」
「ねつ……」
 きょとんとした顔で見つめられて、緊急モードにスイッチが入った。ちゃんと寝かして、リーダーとバンちゃんにも伝えなきゃ。とりあえずびしょびしょの寝間着を脱がそう──と思ったら、そーちゃんが口元に、ぱっと手を当てた。
「どした?」
「……んっ……」
 こくん、こくんと細い喉が動いて、考えるより先に手が動いた。
「そーちゃん、すぐだかんな」
 強張った身体を抱き抱えて、揺すらないよう用心しながら、トイレへ。そーちゃんを下ろしたら、倒れるように座り込んだから、後ろから胸を抱えて支えた。
「んっ……はぁっ……」
「ゆっくりでいーよ。怖くないから、げーってしな」
 そーちゃんは過呼吸みたいに、はっ、はっと息ばっかりを必死に吐いた。俺がいないほうがいいのかもしれない、とは思ったけれど、本当にそうなら言葉なり仕草なりで示すだろうから、そばにいることにした。
「ふっ……んっ……」
「だいじょぶ、ガマンしない」
「んっ、んっ……んぅっ……うぇっ」
 びくっとそーちゃんの身体が震えて、ばちゃばちゃと水を叩く音がした。少しでも苦しくないよう、冷えてしまわないよう、汗びっしょりの背中をゆっくりさする。
「んっ……けほ、ん、んぐっ……おぇっ……」
「よしよし、全部出しちゃいな」
「はぁっ……はぁ、んぅ、けほっ……」
「じょうず、じょうず……」
 けほ、けほっと咳が吐き出されるだけになって、ほっぺに涙がひとつぶ落ちた。ほかほかの頭をそっと撫でてから、トイレットペーパーを畳んで渡してやる。
「鼻いてーだろ。チーンってしな」
「ん……」
「タオル濡らしてくるけど、待てる?」
「んっ……」
 頭をもう一度撫でてから、超特急で洗面所へ。濡れたのはみっつ作って、そのへんのレジ袋に突っ込んだ。乾いてるのも念のため三枚、それから台所でペットボトルの水を確保だ。
 戻ったら、そーちゃんは硬いトイレットペーパーで一生懸命口元を拭いていた。慌てて止めて、濡らしたタオルを当ててやる。
「こすんないの。ぐちゅぐちゅぺっできる?」
 こくんとうなずくそーちゃんに、ペットボトルのフタを開けて渡した。指がちょっと震えてる。可哀想で、背中をさすりながら見守った。五回くらいうがいをしたそーちゃんは、俺に言われなくても、ちゃんと水を飲んだ。
「ごめん……」
「謝んない。間に合ってよかったじゃん」
「でも」
「でもじゃねーの。抱っこする? やめとく?」
 しんどくないなら抱っこされときな、の気持ちでそう訊いたら、そーちゃんがぎゅっと俺の首にしがみついてくれた。タオルを持たせてやりたかったから、そーちゃんのお腹に一枚のっけた。
「あ、部屋……僕の、にして」
「なんで? 汚しちゃってもいーよ」
「……そうなるかも……しれないから、だから……」
「んー。俺も一緒でいーならいーよ」
 気になって眠れないんじゃイミないし、あんまりしゃべらせるのも可哀想だ。間を取って提案したら、そーちゃんからのお願いはなくなった。少し肌寒い部屋に赤ちゃん電気だけを点けて、そーちゃんをベッドの奥にそっと寝かせる。
 そーちゃんの口元にタオルを当てたら、細い指がきちんと追いかけてきた。
「ひえぴた取ってくっから、待っててな」
 そーちゃんは疲れ果てちゃったのか、眠たそうな目をしていた。寝ちゃうかもな、と思いつつそうっと廊下に出たら、端っこにヤマさんがいて飛び上がりそうになった。
「びびった……。もっと優しく立っててよ」
「どうしろっつーのよ。ソウ、体調崩したか」
「ん。ちょっと吐いた。ちょっと熱ある」
「万理さん呼ぶか?」
「たぶんへーき。ヤバかったら言う」
「分かった。俺から連絡しとくから、早く戻ってやんな」
「ん。あんがと、ヤマさん」
 おやすみ、と笑ってヤマさんは部屋に戻った。たぶんちょっと前から起きていて、そーちゃんをベッドに戻すまで、声をかけないでいてくれたんだろう。そーちゃんが気にするかもしれないから。ヤマさんの優しさをナムナムと拝んで、一階の救急箱から、ひえぴたと体温計を取ってくる。トイレに置きっぱなしのタオルも、忘れずに回収だ。
 戻ったら、口元にタオルを当てたままのそーちゃんが、首を傾けてこちらを見た。起きてるならそのほうがありがたい。びちょびちょの身体を拭いて、着替えさせてやりたい。
 クローゼットの中のタンスから、綺麗に畳まれている下着と寝間着を出して、へとへとのそーちゃんのところへようやく帰る。
「脱がすから、ちょっとだけおしり上げて」
「あっ……ぱ、パンツ……」
「パンツも脱ぐの。風邪ひくだろ」
 今夜は疲れが出ただけかもしれないけど、こんなに弱ってる時にテキトーにしておいたら、ソッコー風邪菌のエジキになるに決まってる。そーちゃんはタオルで顔を隠したがったけど、恥ずかしがるのはもう少し後にしてほしい。
「ちょっとだけ起きて。上も脱ぐから」
「うう……」
 首からスポンと抜いたら裏返しになっちゃったけど、直すのは明日でいい。床にポイポイ放って、そーちゃんをもう一回寝かす。そーちゃんは何をされるか分かったみたいで、今度こそ顔をタオルで覆った。
 濡れタオルでそーちゃんの首元を拭ったら、細い肩がきゅっとすくんだ。胸、わきの下、脇腹、おへその辺り。くすぐったいのか、時々脚がぴくっと跳ねる。
「あ! いいよ、そんなところっ……」
「いーから寝てろって!」
 太ももの間に降りてったら、しおらしかったそーちゃんがまた騒ぎ始めた。そーちゃんは背中や腰の周り、太ももの内側、膝の裏辺りに汗をかきやすい。こっちは分かってるんだから、任せてりゃいいんだ。
「うつぶせ……は、しんどいか。もっかい起きれる?」
「はい……」
 再びしおしおになったそーちゃんを抱き起こして、薄い背中もくまなく拭いた。さすがにちょっとぞわぞわしたみたいで、耳元で「くちっ」と小さなくしゃみが聞こえた。
 新しい寝間着を着せて、パンツとズボンも穿かせてやって。おでこにひえぴたを貼ったら、やっともうひと眠りの準備が完了だ。
「お疲れさま。気持ち悪くない?」
「ん……へいき。さっきは、ありがとう……」
「ゼンゼン。目覚まし、遅めにしとくな」
 俺はちょっと早く起きて、ヤマさんとバンちゃんに報告を入れたいけど、そーちゃんは午前中オフだったから、無理に起きなくてもいいはずだ。そーちゃんも特に反対しなかったから、そーちゃんの目覚ましはこっそり切って、俺のはスマホのバイブだけにしておいた。
 並んで寝転んで、そーちゃんのほうに顔を傾けると、そーちゃんもおんなじようにしてくれる。お腹はまだちょっと不安みたいで、タオルを口元に当てたまま、鼻でそっと息をしていた。
「寝られそう?」
「うん……言われてみれば、ぼーっとするかも」
「はは。そーちゃん、全力出しちゃったんだな」
「……解散する?」
「しねーよ。一緒に寝にきてくれたから、ノーカウント」
 最初は、しばらく忙しくて寂しかったんかなって喜んだけど、今思うとそーちゃんなりのSOSとか、セーフティネットのつもりだったのかもしれない。そんなふうに俺を頼ってくれたのが嬉しい。えらかったな、って褒めてやりたい。
「ほっぺ出して」
「ほっぺ……?」
 わけが分からない、って声を出されたから、タオルの端っこをちょっとめくって、ほかほかのそこにちゅっとキスをした。おでこも唇も、今はガードされちゃってるんだもん。
「おやすみ。ゆっくり寝な」
「……うん……」
 そーちゃんの瞳がとろんとゆるんで、おやすみもつむげないまま、夢の中に落っこちていく。今度はそーちゃんが、ニガテなあんまんじゃなくて、やわらかくてふわふわの雲とか羽とかに包まれて、静かな朝を迎えられますように。