グッドナイトコール

「……さみしいよ」
 最後の最後でこぼれてしまった。明日の朝、環くんが帰ってくるまで、隠しとおすつもりだったのに。
『どした? なんかあった?』
「何もない」
『ないことねーだろ、言ってみな』
 もう五日も電話越しにしか聞いていない、優しい声。始めは、慣れない長電話も楽しくて、くすぐったくて、これはこれで悪くないな、なんて思っていたのに。──三日目辺りから、内臓が半分なくなってしまったような、踏ん張っていないと立っていられないような、心許ない感覚に襲われ始めた。ベッドに身ひとつで転がると顕著で、何か抱きしめるものが欲しくて、王様プリンさんのぬいぐるみを借りてきてしまった。
 何かがあったわけじゃない。あったなら、すぐに言ってるよ。
「……ない」
『なんで意地張んの』
「張ってない! ないから困ってるんだ!」
 今日も、電話を取るなり〝そーちゃん〟と弾む声は、変わらず元気そうだった。きっと、僕ばっかり寂しいんだ。あきれられはしなくても、笑われる。可愛いだとか、甘えんぼだとか、嬉しげに言われて。 そんなふうにされるのも、嫌いじゃない。だけど、今この寂しさを救ったりはしない。何も言わなくていいから、抱きしめて。許してくれなくていいから、飛んできてほしいよ。
「もう、切る……」
『ちょい、もーちょい待って。あと二分』
「いやだ」
『なんで!』
「何を言うか分からないから……!」
 環くんが息を切らしてる。こんな遅くに、外から架けてるのかな。忙しいのに、悪かったな。でも、危ないよ、なんて言う気力もない。
「おやすみ、明日、気をつけて……」
『ストップ! つか、もーいい!』
 ガチャン、ドタン、バタバタ、階下から騒がしい音が聞こえる。誰か、何かあったのかな。本当に電話を切らせてもらうべきか。
「ごめん、ちょっと」
「そーちゃん!」
 ドンッ、と扉に何かがぶつかって、懐かしい声がした。うそ、と思わず声が漏れる。電話口からも、僕を呼ぶ声が聞こえる。
「あっ……た、た、環くんっ」
「なんで鍵締めてんだよ!」
「開けてるほうがイレギュラーなんだよっ……!」
 夜中にいきなり訪ねてくる人なんかいないはずなのに、開けておくのが寂しくて、だけど締めるのも寂しくて──そんな気持ちが、君に分かる? 文句はたくさんあるのに、姿を見たら、もう抱きつくことしかできなかった。
「なんでっ……」
「ただいま。中、入れて」
 おかえり、おかえりなさい。冷たい身体を温めて、笑顔で迎えてあげたいのに、喉がぎゅうっと引き絞られて、声を出せない。
「なんでそんなヘコんでんの。なんかあったの」
「……何もなくちゃ、ヘコんじゃいけない?」
「なんかあったんだろ!」
 身体は冷えてるのに、手のひらはあったかい。口では怒ってるのに、なだめるように僕の頭を撫でる。仕事を巻いてきてくれたんだろうけど、寝てから帰ってきたってよかったのに。夜更かしも夜道も、好きじゃないくせに。
「君がいなかった」
「うん」
「寂しくても、眠らなくちゃいけなかった」
「うん」
「どうして寂しいのか、知りたくなかった」
「なんで?」
「だって、知ったってどうにもできないから……」
 ほら、やっぱりつまらないことばかり話してしまう。明日、温かな朝食で迎えて、おかえり仕事はどうだったの、って笑って尋ねるつもりだった。そうしたら、何もなかったことになった。悪い夢を見た夜も、目覚めたら涙で濡れていた朝も。
「どうにかできるよ」
 不意に顔を掬い上げられて、唇にそっと、同じものを押し当てられた。無機質なスマートフォンからじゃ、どうしても得られなかったやわらかな感触。
「もう、どうにかできるよ。どうにかしたげる。頑張ったな。そーちゃん、寂しいって言うの、得意じゃねーのにな」
「……うん」
 そうだよ。認めたら不覚にも、目元がかあっと熱くなった。得意じゃないし、上手くない。あのまま一人でいたら、自分で放った言葉に襲われて、どうにかなりそうだった。
「また、離れ離れのスケジュールが入ったらどうしよう」
「んー。入れないでって頼む」
「無理に決まってるだろ……」
「言ってみただけだし。そーちゃん、〝寂しい〟って言うの、上手くなりな」
 これから練習だかんな。そう諭すように言われたけれど、全然頼もしくない。これから僕が慣れるまで、環くんに何度も放置されるのか?
「……こうして褒めてくれるなら、頑張るよ」
 でも、慣れなくちゃ生きていけないのは事実だ。代わりに、きちんと見ていてもらわなきゃ。いきなり五日間なんてびっくりしたから、最初は一日、次は三日。それから毎日欠かさず、おやすみの電話をちょうだい。
「だから、早く寝支度してきて」
 ご褒美も忘れないようにしてね。