おやすみキーパー

 そーちゃんが早朝からハードで、逆に俺は午後からオフだった日なんかは、来るだろうなって思ってスタンバイしてる。
「環くん……」
 部屋のドアから遠慮がちに顔を覗かせるそーちゃんには、夕べからの緊張でこさえてしまったクマがある。血色も悪くて、よれよれってカンジ。
「もう、お風呂……入っちゃったよね」
「入ったけど、ひまだよ」
「……うん、でも」
「ひまだってば。なにしたい?」
 なに、とか、どした、とか訊くと、そーちゃんは「なんでもない」とか言って逃げちゃうんだけど、みすみすそうさせるわけにはいかない。スマホを放ってそーちゃんのところまで行ってやると、上目遣いを申し訳なさそうに逸らされた。
「あの」
「うん。なぁに」
 両手をぎゅっと握ってやって、ようやくそーちゃんの喉から声が出る。
「……寝支度に付き合ってほしくて」
「ん。お安いゴヨー」
 笑ってやると、そーちゃんがほっと顔をほころばせる。そーちゃんは頑張った後に眠るのが大の苦手だ。でももう大丈夫だかんな。安心していいかんな。そんな気持ちを込めて、少し乱れている髪を撫でながら、部屋を後にした。
「あと風呂だけなん?」
「うん……。でも、その最後の一山が越えられなくて」
「はは。風呂って結構くたびれるもんな」
 腰は上がらなくても、俺の部屋には来れたんだ。嬉しくて、風呂への道すがらちょっとニヤニヤしてしまう。
「じゃあ脱がしたげるから、バンザイして」
「えっ、……それくらいは、自分で」
「いーの。せっかく俺が来たんだから、頼っとけばいーの」
「んっ」
 小突く代わりにちゅっとキスをしたら、そーちゃんが可愛く声を漏らして、真っ赤になって固まった。バンザイしてって言ってるのにな。仕方ないから、両手を取ってそのカッコにさせてやる。
「は、恥ずかしいね」
「今さらじゃん」
 セーターを首から抜いて、シャツのボタンをぷちぷち外して、ベルトもズボンも取り払って、下着に手を掛けても、そーちゃんは嫌がらなかった。俺が脱がせてやりやすいように、キレーな脚をガキみたいに上げ下げしてくれる。
 よくできました、のキスをお見舞いして、俺も裸になって、浴室へ。風呂はそーちゃんが一番最後だ。俺はもう済ませてるから、そーちゃんを洗ってあげられる。
「シャンプーハットする?」
「平気だよ。目をつむってるね」
「じゃあ、シャワーかけまーす」
「よろしくお願いします」
 イスに腰掛けたそーちゃんの肩が冷えないように、ざあっとお湯をかけてやってから、一日頑張ってくしゃくしゃの髪を濡らす。自分のを洗うのは面倒だけど、そーちゃんのをしてやるのは、小さな頭にたくさん触れるから、好きだ。
 あわあわの頭を洗いながら、時々マッサージするように揉んでやると、そーちゃんがようやく深呼吸をした。今日も色々考え込んだんだろうな。お疲れさま。そんな気持ちが伝わるといい。
「カラダも洗っていい?」
「うん……甘えてもいいかな?」
「当たり前じゃん。途中で恥ずかしがんのはナシな」
「た、耐えます」
 スポンジに取ったボディーソープを泡立てて、すべすべの二の腕にそっと当てる。初めてカラダを洗ってやった時は、腰辺りで「やっぱり自分でやる」って逃げ回られたっけ。
「今日は、いっぱいドキドキした?」
「ドキドキ?」
「キンチョーしたの、って」
「あ……うん。プロデューサーの方が、厳しい人で有名だったから」
「じゃあ、そーちゃんの心臓、お疲れさま」
「ふふ。心臓に話しかけてるの?」
 ぺたんこの胸は、たくさん脈打ったんだろうな。食べるのが得意じゃないお腹も一緒に、お疲れさま。頑張ったそーちゃんに、みっきーがマーボー豆腐を作ってくれて、ありがとうございますっていっぱい食べてた。あとは、いつもシャンと伸びてる背中、走ったり踊ったり忙しい脚。
 それから、いつもふっくらとしていて可愛いおしり。どんなにやらしいことをしてもキレーなままの、きわどいところも。すみずみまで泡でこすって顔を見上げたら、真っ赤になっていた。そのほっぺも、後でぴかぴかにしてあげるかんな。
 泡を流して、フェイスソープを泡立てて、そーちゃんの顔を両手で包む。今日もたくさんニコニコしたんだろうな。優しく優しく撫でながら、ほっぺやこめかみを揉んでやる。
「気持ちいい……」
「きもちーだろ。ちょっとベンキョーした」
「そうなんだ、すごいね」
「へへ。そーちゃん専用な」
「本当? もったいないなぁ」
 なんて言いながらも、声は嬉しそう。他の人にもしてやったらヤキモチ焼くのか、試したい気もするけれど、それこそもったいないから、しない。こっそり寂しがりやのそーちゃんのために「そーちゃん専用」をたくさん作ってあげたい。
「ほい、お待たせ。いっちょあがり」
「ふふ。ありがとうございました」
 湯舟に入る時は手を取ってやって、ちょっぴりエスコート。そーちゃんを太ももの間に座らせて、胸に寄りかからせたら、至福の時間の始まりだ。
「手も、揉んだげよっか」
「ありがとう。今度ゆっくりお願いします」
「今日はいい?」
「ええとね、抱きしめてほしいな」
 ほんのり染まった耳に、また小さくキス。あんまりやると、からかってるんじゃないかって怒られるけど。そーちゃんの甘えんぼうにお応えして、胸とお腹に手を回す。そーちゃんが首をくたっと後ろに倒して、ふううっと深く息を吐いた。
「今日……」
「うん」
「ちょっとだけ、ヘコんじゃった」
「なんか怒られた?」
「そういうわけじゃないけど……。番組で、上手い返しができなくて。午後のレッスンも、苦手なところでずっとつまずいてしまったし……」
 撫でてやりたくなったけれど、抱きしめてって言われたからガマンする。お布団に入ったら、絶対絶対よしよししてやるんだ。
「そーちゃんのぶきっちょなところ、好きになってくれる人もいるよ」
「そうかな、……それなら、いいのかな」
「レッスンは、ソロライブのダンス?」
「そう……一曲、激しいのを作りたくて」
「じゃあ、今度一緒に特訓しような」
 ほっ、とそーちゃんの力が抜けた。レッスン中、俺がいたら、って思い出してくれたりしたのかな。 作曲がライフワークの一つになって、春の終わりに初のソロライブの企画をしたそーちゃんは、すごい勢いでいくつものチャレンジをしてる。今までにないハイレベルのダンスパフォーマンス。ピアノやアコースティックギターでの弾き語り。新曲の書き下ろし。主演映画の主題歌になる予定のやつは、アカペラで披露する。一人でのトークだって初めてだし、演出や衣装にも関わるみたい。
 もちろん俺は観に行く約束をしてて、毎日頑張れって念じてる。バンちゃんに相談してサプライズを企画してるのは、内緒。
「環くん、あの……。お願いが」
「なぁに」
 振り向いたそーちゃんの顔が、とろんとしてる。そーちゃんは一人だと湯舟を省略しがちだから、入れてやれてよかった。
「あのね、今日は本当に……情けないんだけど、疲れちゃって」
「うん。頑張ったんだもんな」
「恥ずかしいんだけど、その……」
「うん。言ってみ」
「……あのね」
 そーちゃんはたっぷりの沈黙の後、俺の首におずおずと腕を回して、つぶやいた。
「ベッドまで抱っこ、してほしい」
 思わず胸がきゅんとなる。酔っぱらった時にしか出てこないくらいの、盛大なわがままだ。目を輝かせてしまった自覚があった。そーちゃんが俺に抱きついていてよかった。こんなの見られたら、恥ずかしがって逃げられちゃう。
「そんなんヨユー。もう上がる?」
「うん……。ぼうっとしてきちゃった」
「眠たいだろ。頑張ってしゃべんなくてもいいかんな」
 このままそーちゃんの心を静かにさせて、夢まで優しく導いてあげたい。湯舟からはさすがに自分で上がったけれど、身体を拭いてやるのは俺の役目だ。
「髪、タオルだけにすんな」
「ん……」
 整えるのは明日頑張る。超特急で水滴を拭って、寝間着を丁寧に着せてやる。連れてくよ、の合図の代わりに顔を覗き込んだら、眠たそうな目で見つめ返してくれた。
 背中と膝の裏に手を添えたら、首にぎゅっとしがみついてくれる。ささいな呼吸が合うのが嬉しくて、愛おしい。連れていく先は、そーちゃんの部屋だ。そーちゃんが眠れない時は俺のベッド、眠れそうな時はそーちゃんのベッド、ってなんとなく決めてる。
「ありがとう……」
「どういたしまして」
 今にも閉じてしまいそうな目なのに、笑ってる。いじらしくて、可愛くて仕方なくて、ガマンできずにキスをしてしまう。すぐに離したら、ほんの少し寂しそうな顔になった。なんてうぬぼれながら、わずかに深いキスを、もうひとつ。
「んっ……ふ、ぅ」
「……そーちゃあん。えっちな声、出さないの」
「だ、出してないよ……」
「んもー。いーけど」
 明日、そーちゃん用の目覚ましは六時。こんなふうに時々お世話をするようになってから、ちゃんと把握しておく癖がついた。そーちゃんも俺を信用して任せてくれる。大人になるって、悪くない。 シングルベッドにぎゅうぎゅうと身を収めて、ようやくそーちゃんの頭を撫でる。
「君の話……」
「うん?」
「聞きたいな。朝ご飯のロケだったんだろ」
「いーよ。明日な。バンちゃんがオフショ撮ってくれたから、見よ」
 ぽそぽそとささやくように話している間にも、あふ、とそーちゃんの口からあくびがこぼれて、枕にぽろっと涙が落ちる。すっかり無防備だ。
「暑くない?」
「へいき……きもちいい」
 俺もそーちゃんがほこほこで気持ちいい。そーちゃんのまぶたが、いよいようとうとし始める。
「たまきくん、たまきくん……あのね」
「うん、どした?」
 眠りに落ちるって時に、どうして一生懸命話したがるんだか。言い残したことでもあるんだろうか。ちょっぴりはらはらしながら、花びらみたいな唇が動くのを見守る。
「眠たくなるなんて……昔は、ほとんどなかったんだ。いつも……さすがに寝なくちゃって思ったタイミングで、ベッドに入って……でも、ただじっとしているのが怖くて、ずっと何かを考えながら、気付いたら眠っている、ようなのを繰り返していたから……それほど眠れていなかったんだろうなって、思う」
「うん」
「でも……時々、君と眠るようになって、眠る前の時間が、気持ちいいんだってことを知って……気持ちいい時間に、また浸りたいなって思うようになって……やっと、ぐっすり眠る幸せを知ったような気がする」
「……今、幸せ?」
「うん……すごく、幸せ。あたたかくて、すごく満たされていて、大好き……」
 きゅうんと胸が痛む。嬉しくて胸が痛いなんて、初めてだ。そーちゃんの言う「大好き」も「幸せ」も、俺がプレゼントしてあげられた気持ちだって、思ってもいいのかな。そーちゃんにこんな穏やかな表情をさせているのは、俺だって思っていいのかな。
「そーちゃん……俺も、俺も、幸せ」
「ふふ……。僕のほうが幸せ」
「はは。なんで張りあうんだよ……」
 傷を負った子供が身を寄せるような寂しい夜じゃない、本当に幸福な夜を見つけた。それにたどり着くには、ロマンスじゃない、単なる日常の積み重ねが必要なことも知ってる。だから、そーちゃんの寝支度を手伝ってやるんだ。この身体が安らぎで満たされますように、と願いを込めて。
 だけど──。
「もっかい、ちゅーしてもいい?」
「ふふ、うん……あと」
「あと?」
「ぎゅうって、してくれる?」
「ん。おいで」
 俺もそーちゃんも欲張りだから、一日の最後にとびっきりのキスとハグが欲しい。生まれたてのようにやわらかい場所を押しつけて、互いの呼吸と体温をそっと分けあう。
「んっ……んん、……たまきくん、だいすき」
「へへ。俺も、だいすき……」
 あったかい涙でとろけた瞳は、今まで見たどんな宝石よりつやつやしてて、キレーだな。
「そーちゃん、おやすみ」
「うん……おやすみ、なさい」
 ふうっ、と華奢な腕から力が抜けて、すう、と呼吸が深くなって、夢に落っこちていく瞬間を見届けた。手放したくない、俺だけの特権。
 眠ることが幸せな人生は、希望に満ちると思う。そういえばいつの間にか俺も、苦手だったはずの夜が、大好きになっていた。