「悲しみを乗り越える」って結局なんだったのか

 たまには最近書いた話のあとがきというか、聞かれてもない語りとか書いていこうと思います。10月の原稿の息抜きです……。

It’s only planet(環壮・全年齢)

 簡単に言うと、本編3部でそーちゃんが泣いた日の夜、部屋で上手く泣けないでいたところを、環くんに見つかるお話を書きました。鼻が詰まってびっくりして、しゃくり上げるのが恥ずかしくてびっくりして、声を出せと言われてびっくりして、これで終わりだと思うなって言われてびっくりする感じです。

 いつぞやのそーちゃん誕生日ラビチャで、環くんが「嬉しいのに泣けないなんてかわいそう」的なことを言ってたことがあると思うんですけど、3部の時は笑いつつも「泣くなよー」って感じでしたね。そりゃそーか。そりゃそーかって感じっちゃ感じなんですけど、環くんも、悲しくて泣けることが、いいことだと思ってるわけじゃないってことを、はっきり確認したのが、本編3部のそーちゃんが泣くシーンでした。
 客観的に見たら、そーちゃんが「泣くのを我慢」しなくなったのは、普通にいいことだと思うんですけど、環くん的には、「泣くのを我慢」するっていう発想というか概念が、ないんですよね。ただ泣けるか泣けないか。いやそーちゃんも別に我慢してるつもりはなかったと思うけど。でも小さい頃は泣くなって言われたんじゃないかなあ。そうじゃなきゃ普通は人間泣くよね。弱みを見せるな的な教育が、泣かないことにつながっていったくらいはあると思う。
 もしくは、泣く時に慰めてくれる人が周りにいなかったか。そりゃ泣くのも嫌になるわ。ひたすらにみじめだもん。その点、環くんは、優しかったお母さんとの記憶が、短い期間だけど疑いようのない形で残っていたし、泣いてる妹を心から慰めてやるようなことも経験していたから、自分のことをそんなふうに思わなくて済んだんだと解釈してます。

 この先、環くんが悲しくて泣いてるそーちゃんの涙を肯定するのかしないのか、微妙だな~と思ってます。本編で言うと、そーちゃんが一人でラジオの放送に臨んだ時の涙とか。理ちゃんが寂しくて泣いてる時は、「母ちゃんはもういないからしょうがないけど、兄ちゃんはいるからな」って慰めることができるけど、そーちゃんの悲しみは、環くんにはどうにもなんないからなあ……。酔って寂しがったら、「ハイハイここにいるから(怒)」って言ってやることくらいはできるけど。そういう、今まさに現在起きてることしかどうにもなんない。
 そーちゃんが過去のことについて過ぎたことと割り切ってて、しょんぼりする日が来ないなら別にこっちが心配することもないんですけどね! でもオフの日ラビチャの話聞いた限りじゃ、「もう繰り返さない」「今度こそ大事な人を守りたい」って気持ちで、過去に対する気持ちに折り合いつけ終わっているような感じはしない。

 なんか、二次創作してるからか、つい推しの話を延々してしまうというか、言いたいこと言うのにやたらまどろっこしくなってしまうよね~。結論から言うと、人間、悲しむことができてもそこで終わりじゃないよねって話です。当たり前なんですけど。「悲しみを乗り越える」って結局、歳月が過ぎて、その悲しみから現在までに自分の中に入ってきた情報量ややるべきこと、やりたいことが物理的に増えて、手が回らなくなるってだけのことじゃないですか。そんなことないですか? その悲しみが単なる悲しみではなくて、当時から現在進行形の、具体的な問題なんだったら、それはそれとして解決すればいいです。でも、単なる悲しみ、つまりは過ぎたこと、もう誰にも手出しできないようなことは、結局、本当に手が届かなくなるまで、悲しむ以外にできることがない。だから大事なことほど、手放すのが嫌で、それこそ一生に近い時間をかけて、悲しみ続けることになるよ。それ以外に別に何もできないけど。
 そーちゃんは、そういうこととの闘いが始まったんだなと思いました。そしてたぶん環くんはその闘いの味を知っている。環くんがそれを人知れず闘い続けてきた過程で生じた寂しさは、まだ手出しができる距離にある具体的な問題です。これからそーちゃんのそばにいることによって、違う形にしていくことができると思う。まだ。

 今回のこの小話、短期間で当社比かなりいいねをいただいたんですけど、そーいう精神の話なので、感想くださいって言う気になれないなと思いました。基本はめっちゃ欲しいんですけど。でもこういう、萌えが全てじゃない心理描写ゴリゴリの話って、(おこがましいのを承知で言うけど)「いいね」に少なからず共感が含まれるじゃないですか。失礼なこと言ってるかもしれないんですけど。このそーちゃんと環くんの話を読んで、少なからず心が揺れた人は、その気持ちを誰にでも分かる日本語になんか変換しないで、100%の純度でこの世にとどめておいてください。って感じです。
 そーちゃんもさ、なんでもかんでも頑張って人に説明しようとするのよくないよね。その結果その口から出てきたもの、絶対いろんなフィルター50枚くらい通してるでしょって感じです。自分の気持ちを大事にしてくれ。そういう意味で、そーちゃんが作曲という、言語を使わない表現手段に手を出し始めたの、めちゃくちゃいいと思います。まあでも作詞も自分でするか、任せるとしても環くんくらいにしといたほうがいいんじゃ……? って気がまだする。その気持ちを人に明け渡すな。逢坂壮五の悲しみ過激派。

 これと同じタイトルの本をいつか出すかもしれない。(言うだけタダ)