2.夕べのアルファルド

 そーちゃんは俺のことが嫌いだ。――ってずっと思ってるけど、そんな気にすることじゃない。二人で MEZZO” なんだから、一緒にいなきゃいけないのはしょうがない。そーちゃんもたぶんそう思ってる。けど、ずっと一緒にいなきゃダメなのかなあ。

「環くん、おはよう。はい、起きて」
 昔っから寝相の悪い俺は、タオルケットなんか大抵寝付く前に蹴っ飛ばしてしまう。はがすものがないので、そーちゃんは朝っぱらから俺の肩をゆさゆさ揺すってる。
「……あのさー。いちいち起こさなくていいよ。今日は MEZZO” じゃないんだし」
「だからだよ。五人に代わる代わる面倒見てもらうつもり?」
「たまにはりっくんとかがいい」
「ダメだよ。丸め込んで二度寝するだろ」
 冬じゃなくても起きるのは苦手だ。乾いた目をしばたたかせ、枕元のスマホの電源をポチッと押す。分かってたけど、三時半なんてまだ夜じゃんな。
「さっさと起きて!」
「いでででで! 無理に引っ張んなよ、バカ!」
「痛かったら起きる!」
「離さなきゃ起きない!」
 目なんかとっくに覚めてるんだけど、そーちゃんが俺の腕を担ぐみたいに掴んだまま、意地で両者睨み合い。といっても、そーちゃんが俺を引っ張り起こせるわけがないので、結局そーちゃんが折れることになる。ざまーみろ。
「離したんだから起きて」
「……はいはい」
「よし」
 仕事は終わった、と言わんばかりに淡白な顔でそーちゃんは立ち上がる。背中を見送ってもう一度寝転がってもよかったんだけど、その態度が気に入らなかったので追いかけることに決めた。もう少し嫌味言ったっていいのに、ほんとつまんないやつ。

 皆に相当急かされつつも王様プリンはしっかりたいらげて、夜が明けたばかりの梅雨空を見上げながら、駅までの道を突っ走った。見送りについてきたバンちゃんが、デビューしたらロケバス欲しいですね、なんて息を切らしていたけれど、大人数で走るのが面白かったから別にいい。それに、東京では海開きもまだまだの季節なのに、ジーパンの下には新しい水着を履いてるなんて、それだけでちょっとテンション上がる。
  IDOLiSH7 のデビューは真夏の予定だ。今日はそのためのミュージックビデオを撮りにいく。生まれて初めての飛行機と、生まれて初めての沖縄と、数えるほども行ったことのない海水浴に、俺は夕べからずっとわくわくしっぱなしだった。……わくわくしっぱなしだったんだけどなあ。
「環くん起きて、走って!」
「ヒコーキ六時過ぎとかだろ……んな急がなくても……」
「搭乗手続きがあるから! 電車とは違うんだよ!」
  MEZZO” でデビューして以来、そーちゃんとばっかり一緒にいるから、余計に今日の仕事は楽しみにしてたのに、結局そーちゃんが隣にいるのはなんでだろう。飛行機の席だって、皆はチケットをくじ引きみたいに取ってったのに、なぜか俺のぶんだけ、そーちゃんが最初から持ってたし。
「俺、窓際がいい」
「どうぞ。時間になったら起こすから眠っていいよ」
「そーちゃんは眠くねえの」
「大丈夫だよ」
 ぱら、と撮影用の資料をめくり始めたそーちゃんを横目で見ながら、小さな窓へコツンとおでこをくっつけた。キーキー言われなくても、つまらないものはつまらない。本当はりっくんとかみっきーとかの隣に座って、教科書でしか見たことない山のてっぺんとか、絵本でしか見たことない雲の海とかに、一緒になってわーわー騒ぎたかったのにな。
「そーちゃん、ヒコーキ好き?」
「嫌いじゃないよ」
「……あっそう」
 やっぱり盛り上がんねえな。諦めて目を閉じる。そーちゃんこそせっかくの遠征なのに俺の隣で退屈じゃねえのかな、って思ってたけど、特に思い入れがないんなら心配するだけ損だ。期待していた飛行機も想像よりずっと窮屈だし、今は体力を温存して南の島に備えよう。
「おやすみ」
 電車や控え室でうたた寝をする前に聞くそーちゃんの声は、わりと嫌いじゃないんだけどなあ。

 さて数時間後に降り立った沖縄はピーカンの青空だった。陽が高くなる前に撮影を始めようということで、スタッフさん数人と合流しつつ、ちっこいバスみたいな貸切タクシーに乗って、そのまま海へ直行する。移動してるうちに服を脱いで水着一枚になるのが、なんかお祭りみたいで楽しかった。運転手のおんちゃんも笑ってて、それだけでもう沖縄好きだな、って思った。
「環、陸、見てみろ、外!」
「うわ……」
 海水浴したことないって言ってたりっくんと窓に張り付いて、思わず口をぽっかり開ける。テレビでしか見たことないけど、沖縄の海って本当に青いんだ。いや、東京の海も青いけど、そういう青じゃなくて、もっときらきらとした宝石みたいな、……なんて言うんだっけ。
「なー、いおりん!」
「しっ、ちょっとだけ静かに。環くん、どうしたの」
 後ろの座席を振り返ったら、授業中居眠りなんかしたことないいおりんが、すーすーと寝息を立てていた。隣には、いつも通り今まで一度もはしゃがなかったそーちゃんが、背筋をぴっと伸ばして座っている。
「あー、うーんと。あの海の色、なんて言うんだっけ」
「エメラルドグリーンかな。綺麗だよね」
「あー、うん、それかも。この色、そーちゃんも好き?」
 そーちゃんがふっと窓の外に目を移したので間が開いた。また「嫌いじゃない」なんて言われてしまうかも、と構えていたら、そーちゃんの白い頬が少し緩んだ。
「うん」
 頷いてはくれたものの、相変わらず盛り上がらないなあ。俺の話の振り方が悪いのかもしんないけど。そうは言ったってもともとシュミが合うわけでもないし、無理して話すほうがおかしいのかもしんないけど……。
「ねえ、三月は沖縄来たことある?」
「修学旅行で来たよ。一織と環も今年行くんじゃねーの?」
「いいなあ……。シュノーケリングやってみたかったんだよね」
「浅瀬にもキレーな魚いっぱいいるぞ。一緒に探してやるよ。な、環」
「おお。修旅の予習するわ」
 真ん中の座席が賑わっているさなか、ヤマさんは一番前でいびきをかいてるし、後ろのそーちゃんはいおりんの枕になりながら、ナギっちと何やら外国の話をしている。トキトバーイにも寄るけれど、七人も集まってるんだから合わない奴なんか絶対いるし、つまりは合う奴だって絶対にいる。別に合わない奴同士が会話もできないほど仲が悪いわけじゃないんだから、無理してまで全員が分かり合わなくちゃいけないなんて俺は思わない。

 柄にもなく考え事をしていたら、なんだか気分が落ち着いてしまった。そんな俺を置いてみっきーやりっくん、さっきまで静かだったナギっちまでもが、海だー!!なんて車を降りるなり駆け出した。
「先に日焼け止め塗ってください!!」
 いおりんがほとんど叫びに近い声を上げながら、寝起きとは思えない形相で三人を追いかける。りっくんは残念ながら、波打ち際へたどり着く前に捕まったみたいだ。
 スタッフさんが機材を組み立てている間に、マネージャーと俺とそーちゃんとでレジャーシートを広げた。ヤマさんは車に置いてけぼりになってるのかと思いきや、シートの横で誰よりも早く、せっせと日焼け止めクリームを塗っていた。
「ヤマさんって結構マメだよな」
「いやいや、海って怖いんだって。油断してたらひどい目に遭うぞ」
「うそ、焼けんの。水冷たいのに」
「大丈夫、ちゃんと強力なの持ってきたから。背中こっち向けな。ほら、髪も上げて」
 ヤマさんはその「ひどい目」に遭ったことがあるんだろうか、いおりんが連れ戻してきたメンバーも一緒にレジャーシートへ並べると、全員の背中に丁寧にクリームを塗ってくれた。
「ヤマさん、他んとこもやって」
「さすがにパス。何が楽しくてヤローの全身撫でまわさなきゃなんないのよ」
「ちぇー。ケチ」
 日焼け止めクリームは、マネージャーが皆のぶんをしっかり用意してくれていた。俺は人よりガタイがいいので、雑な性分でも時間がかかる。次々水面へ走り出すみんなを尻目にせっせとチューブを絞り出していたら、もといた三人が残ってしまった。
「ほら、ソウも。端っこいないで」
 そーちゃん、ちゃっかり日傘なんか準備して、レジャーシートと砂浜の境界辺りに大人しく体育座りをしていた。そもそも水着になってすらいないし、海辺で遊ぶのなんか好きじゃないんだろうな。
 とはいえ、今日はミュージックビデオの撮影なので、一人だけ着込んでるわけにもいかない。そーちゃんは、渋々ってほどじゃないけどあんまり気が進まないみたいな複雑な顔で、お願いします、とヤマさんに背を向けて座った。――嫌そうなそーちゃんの顔なら何となく分かるようになってきた。
「うわ、そーちゃん、白っ」
「……君も少し海で遊んできたら」
 おお、むっとしてる。ちょっと楽しい。怒ってるんだろうけど、怒らせるのとはちょっと違う。
 全部脱ぐのは億劫なのか、パーカーをまくり上げるようにしているけど、首や肩が塗れないからって、結局ヤマさんに上半身すっぽんぽんにされてる。ヤマさんも半分楽しんでるな。
「ソウ……」
「なんですか」
「海、似合わないな」
「ぶっ」
 思わず噴き出した俺を、そーちゃんが真っ赤な顔で睨みつける。別に俺、何も言ってないし。
「ぶくくく」
「あのねえ、環くん、何がそんなに面白いの」
「別に……なんでそーちゃんはそんなに怒ってんの?」
 涙目でちらっとその顔を見ると、墓穴を掘ったそーちゃんは無言で海の方角へ歩き出した。途中でヤマさんに「顔と腹と腕と足は自分で塗るんだぞー」と呼びかけられて、結局クリーム取りに戻って来てたけど。

「ヤマさん」
「んー?」
 人の世話してくれるなんてめずらしいなー、と茶化されながらヤマさんの背中に日焼け止めを塗っているのは、ヤマさんに聞きたいことがあったから。
「そーちゃんと仲良いよね」
「まあまあかな」
「そーちゃんのどこが好き?」
 うーん、と背中を丸めたヤマさんは、海辺で笑い合っているメンバーたちを見て微笑ましげに目を細める。この人はいつもこんなポジションにいるような気がするけれど、いつもこんな光景を眺めていたのかな。
「別に好きだからつるんでるわけじゃないしなあ」
「たまにははぐらかさないで教えてよ」
「あ、バレてた? はぐらかしてるの」
「うん」
 俺は結構、そういうのは分かる。分かるけど、だからって基本的には追及したりしない。はぐらかしてんなー、って思うだけ。はぐらかしたいんだなー、っていう情報がもらえれば、とりあえずそれだけで、そっかー、って思う。
 けど、そーちゃんって、そういうのすらあんまりくれない。何考えてるのか全然分からない。俺が見るに、ヤマさんやみっきーといる時のそーちゃんはよく笑ってる。怒ってない時のそーちゃんって、何考えてんだろ。
「ヤマさんの話はしなくてもいいから。そーちゃんの話して」
「じゃあついでに肩揉んで」
「うっす」
 ビニールかぶって機材いじってたスタッフさんが汗だくで出てきた。あんまり時間ないのかも。
「ソウはさ」
「うん」
「タマのこと心配してたよ」
「俺の話もいいから」
 大人ってみんな回りくどいのか。でもみっきーはそんなことないな。むしろ全員の中でほぼ一番にストレートだ。
 ストレートなみっきーがそーちゃんに思いっきし水しぶきかけてる。遠目にだけど、そーちゃんは笑ってる。俺も結構ストレートなほうだと思うんだけどな、俺が同じことやったら、絶対そーちゃん、笑ってくれないよなあ。
 ずっと見てたら、やっぱりさすが南の島というか、太陽がきらきらまぶしくて、だんだん視界がちかちかしてきた。
「いやほんと。タマのことばっかだよ」
 目と一緒に耳もくらんで、ヤマさんが言ってたこと、ちゃんと頭に入ってこなかった。

 案の定、と言うとまた怒られるのかもしれないけれど、灼熱の中の撮影で、りっくんよりもそーちゃんが先にバテそうだった。そもそもりっくんは自分のペースを把握できるようになってきているのに、そーちゃんがいつもより張り切って飛ばしている。
「あんた、今日、ヘン」
「そう?」
 撮影は順調だけど、七人もいるとコマ数のわりに時間がかかる。そーちゃんは、自分が撮られていない間は少しだけ猫背気味になって息を整えていた。スタッフはりっくんにばっか気がいってるから、気付かないみたいだ。
「またなんか悩んでんの? 海とか太陽ってキャラじゃないとか」
「はは。楽しくやってるよ」
 あ、笑った。めずらしい。いや、めずらしくもなんともないんだけど、俺の前ではめずらしい。アドリブに失敗したらしいヤマさんが眼鏡ビショビショになってるからかな。
「楽しいよ。大丈夫。ずっとここにいたい」
 そーちゃんは俺の半歩前で、みんなを見ている。俺の前では滅多に見せない、やわらかくてあったかい笑顔をしている。
 正直、今回のデビュー曲って、そーちゃん個人には全然似合わない曲なんだけど、「 miss you… 」を録った時の俺の冗談がそーちゃんを開き直らせるのに少しでも一役買ったならいいのになんて、今さらそんなことを思い始めた。
「そーちゃん」
「なんだい」
 穏やかな顔のままでそーちゃんがこっちを向いた。見慣れなさに思わず息を呑んで、言葉が続かなくなるところだった。
「七人でデビューしたらさ、 MEZZO” ……少しお休みしよ」
「……どうして」
「そのほうがいいと思う」
 そーちゃんの表情がまた消えた。どうして俺が話しかける時ばっかり、何考えてるか分かんない顔をするんだろう。
「また後で話そう」
「そーちゃん」
「また後で話すから。今度は勝手にマネージャーに相談したりしないでね」
 言葉尻から、やっぱりまた怒らせたんだろうなということは分かる。聞けよ、なんて掴みかかってもしょうがないのはもう実証済みだから、今日は大人しく口をつぐんだ。
 無事に IDOLiSH7 として七人でデビューできたら、 MEZZO” は晴れてお役御免、お疲れさま、ってことにはならないのかな。そーちゃんの隣でそんなことを考える俺は、そーちゃんの言ってたとおり、やっぱりそーちゃんのことが嫌いなのかもしれない。
 実際のところ、頑張ってるそーちゃんを見てると、なんだかこっちまで疲れてくる。なのに今朝も断固として隣に座ろうとしてくるし、ヤマさんもいおりんもいるのに俺のこと起こすのは自分だって顔をする。俺のためなんて言われるけど、正直そんなの余計なお世話だ。 MEZZO” じゃなきゃそんなへんちくりんな責任感なんて生まれようがなかっただろうし、 MEZZO” こそIDOLiSH7 がデビューできていたら結成することはなかったんだから、もうお疲れさま、でいいんだよ。
「陸くん、もう少し頑張れる? できればこの勢いで、いったん最後まで撮っちゃいたいんだ」
 そーちゃん、日暮れまで突っ走るつもりみたいだけど、七人でいるこの今のほうが、ずっとずっと優しそうで嬉しそうな顔してる。

 さて、旅館に到着するなり真っ先にお風呂を借りたところで、そーちゃんが昼間やたらとやる気だった理由が分かった。
「いたたたたた」
「うっわ、壮五のヤツ真っ赤!」
 身体を丸めたそーちゃんに、みっきーが横からざあっと水をかけてあげている。大浴場では湯気が絶えずもうもうと湧いていて、洗い場にただ居るだけでもひりひりするみたいだ。そーちゃんのひょろっこい腕が、肩が、背中が、余すところなく擦りむけたみたいに焼けていた。
「ちゃんと日焼け止め塗ってやったんだけどな」
「いえ、昔からこうなんですよ。塗っても塗ってもすぐ赤くなってしまって」
 眉を寄せながらおそるおそる二の腕にタオルを当てるそーちゃんを、りっくんといおりんが固唾を呑んで見守っている。いだだだだだ。見てるだけで痛い。こういうのは苦手なので、同じ場所で同じ時間を過ごしたとは思えないナギっちの白雪のような肌を眺めて、目を癒すことにする。
「可哀想ですけど、ソウゴ、努力は報われたみたいです」
「え、ナギっち、なんか知ってたの」
「ええ。撮影に障らないようにと、効率のいい撮り方を一生懸命考えてくれていました。リクにも謝っていました。自分のせいで無理をさせてしまうかも、と」
 なんだ、突っ走ってた理由、ちゃんと話してたんだ。俺が聞いてなかっただけか。でもいいや、誰かに言えてたなら。スタッフの誰も本当に止めようとしなかったから、俺は本気で心配してしまってた。
 ほっとしたのもつかの間、そーちゃんが、へっぷし、なんて情けないくしゃみをした。水ばっか浴びてたら当然そうなる。みっきーが今度はぬるま湯に微調整したシャワーを当ててあげていたけど、そーちゃんは案の定いたたたたたと縮こまりながら、しかし顔は困ったようでいて笑っている。
 思いっ切りお湯をかけて痛がらせてやりたいような気もしたけど、それはさすがに可哀想なのでやめた。けど、あんなに痛そうなのにへらへら笑ってるの見てたら、わけが分かんなくてこっちが気分悪くなってきた。
「環ー、湯船入んないの」
「いい。俺も日焼けしたから」
 りっくんを突っぱねるのは心が痛んだけど、どうにも居心地が悪くて、俺は一番最初に浴室を出た。

 近くには宿だけでなく飲食店なんかもたくさんあるから、夕食は各自で、ということになっている。誰かについてって沖縄料理をおごってもらうのもよかったけれど、いざ一人になると誰のところへ行こうか決められなくなってしまって、とりあえず七人用に借りた大部屋へ向かった。
  IDOLiSH7 で地方へ行く時は、いつもこんな畳の部屋で雑魚寝している。それこそ修学旅行みたいで俺は好きだ。寝坊癖のある俺にとっては誰もいない部屋なんてそんなに貴重でもないんだけれど、やっぱりこの空間を独り占めできるのは得をしているみたいで嬉しい。少し気分が上がったことに安心して、あくびをしながら自分の布団を大雑把に広げた。
「……いて」
 一仕事終えたように息をついて寝転がると、頭上のリュックから誰かの手荷物が滑り落ちて、勢いよくおでこに刺さった。
「誰だよ、本なんか持ってきてる奴……」
 ぐちゃぐちゃに放られた着替えやなんかは、マネージャーが畳んでくれたみたいだけど、荷物自体にはあまり触らないよう気を遣ったのか、壁際に寄せるだけになっている。そーちゃん、整理整頓しろしろって俺にうるさいけど、実際に整理整頓できてるのそーちゃんといおりんくらいなもんじゃん。
 結局のところ、そーちゃんが俺にかまうのって一緒に MEZZO” をやってるからだ。コンビを組んでなきゃ俺のことなんかそれなりに放任していただろうに、コンビだというだけで俺の目につくところ全てに口を出してくる。そーちゃん自身が俺を嫌いでも関係なく。あのバーベキュー以来、むやみやたらに「仲良くしよう」と言われることはなくなったからそれはいいけど。いいけど、おおもとの問題が解決していない。
 一日中日に当たっていたからか、頭が火照ってぼーっとしてきた。うつらうつらしながら、元来忘れっぽい俺が遠い昔に本当に忘れた悲しい気持ちを、なんとなく思い出した。
 俺だって別に、俺と一緒にいて嫌な思いをする人と一緒にいたくはないし、人に嫌な思いをさせたいわけでもない。親は選べないっていうけど、今ここには七人もいるんだから、あえて一番合わないやつと大変な思いをして一緒にいることなんてない。
 お休みしよ、だなんて俺のほうこそ回りくどい。口に出したくないような気持ちでも、最初っからきちんと話していれば、そーちゃんもたぶん分かってくれた。
「あーよかった! 人いた!」
 不意にガラー! と襖が開いて、大部屋に転がり込んできたのはみっきーだった。なんだなんだと身を起こしている間に、みっきーは何やら後方へ「環がいたー!」と叫んでいる。やばい。面倒くさそう。
「はー、お兄さんもう無理」
 続いて力尽きたみたいに入口に倒れ込んだのはヤマさん。と、その背中に重なっていたのはそーちゃんだった。
「え、そーちゃん、やっぱりバテた!?」
「いや、大丈夫! 布団敷いてやってくんない?」
 オレ水取ってくるー!! とみっきーはシャトルランよろしくきびすを返して風のように去っていった。ヤマさんはソウどかしてーとうめきながら潰れている。とりあえずすぐそばに敷布団だけを広げてやわらかい場所を整えてから、ヤマさんの上にうつ伏すそーちゃんの腰を掴んで二つ折りにするみたいに持ち上げた。
 あんまりほかほかだから熱でも出したのかと思ったけれど、寝転がして顔を見たら、酔いつぶれてるんだって一瞬で分かった。丸襟のシャツから左右に放り出された細腕が、ぞっとするくらい赤く染まってる。
「ヤマさん」
「ん」
「あんなに焼けてたのに酒飲ませたの?」
「責めんなよ。ソウが飲むって聞かなかったんだよ」
「だからって、あんたら飲むの初めてじゃないんだろ。加減とか……」
「したよ。したけど、部屋行きたくないってごねんだよ」
 ソウが飲みたいだなんてめずらしいから付き合ったらこのザマ、とヤマさんは仰向けに寝返りを打って嘆いた。自分はそんなに長い間うとうとしていたのかと掛け時計を確認したら、さっき俺が寝転がってからまだ一時間も経っていない。この短い間に風呂から上がって飲んで一人潰れて、とどれだけせっかちなんだ大人組は。
「まあ、だから、眠ってもらおうと思って半分潰したの。でもひどい目にあった」
 ひどい目? 答えを聞く前に、みっきーが戻ってきた。五〇〇ミリのペットボトルをポイポイと二本投げて寄越すと、せわしなくヤマさんを叩いて起こす。
「今度はなにー」
「陸の件だよ!」
「どいつもこいつも……」
 そーちゃんを負ぶってくたびれた腰をさすりながら立ち上がるヤマさんには、リーダーの責任感ってやつがあるんだろう。みっきーはみっきーで、じゃあ壮五をよろしく、と右手を振ると、まだまだ酔ってなんかいないみたいに、廊下をタッタカ駆けていった。途端に事態の面倒くささを理解して俺は溜め息をつく。要は酔っぱらいの世話をしろってことだ。酒ってあんまりいい思い出ないんだけどな。
 自分も寝転がりたかったので、少し考えてから、そーちゃんの横たわった敷布団をそーちゃんごと部屋の奥へ引きずった。真ん中に寝るのも落ち着かなかったから、俺の寝床は一番奥に作ってある。そこまでたどりつく前に、そーちゃんが目を覚ましてしまった。
「まぶしい……」
「そりゃあ寝てたからな」
 目をこすりながら身じろぎしつつも暴れる様子はなかったので、無事に俺の隣へ連れてくることはできた。せっかくもらった水を置き忘れてきたのに気付いて、取りにいこうかと足を踏み出した時、ほんの小さな抵抗があった。
「待って」
「うん。水持ってくるから」
「待ってってば」
 あー、酔っぱらいだ。分かってたけど。振り切って、出入り口付近に放ってあったペットボトルを回収し後方へ向き直ったら、そーちゃんが足元にいてぎょっとした。ちょっとしたホラーだ。
「え、何、転がってきたの?」
「なんでたーくんがここにいるの」
「は? いや、もう寝ちゃおうかなって」
「僕は話すことなんかないよ!」
 ヤマさんが「潰した」って言った意味が分かった。これは予想以上に面倒くさい。部屋に行きたくないとごねた理由は知らないが、まず何を言いたいのかが分からないし、分かったら分かったで手こずらされそうだ。
「分かったからとりあえず布団戻って」
「分かってない!」
「分かんねーけど戻れ! 邪魔!」
「いたぁっ……!!」
 力任せに両腕を引っ張り上げたら、そーちゃんから聞いたことのないような悲鳴が上がった。しまった。全身擦りむけそうなレベルで焼けてるんだった。俺は意を決して、ううと唸りながら再びうずくまったそーちゃんの傍らにしゃがみ込み、シャツの裾に手を掛けると、驚かすひまもない勢いで剥いだ。
「痛いってば!」
「分かったから大人しくしてろよ!」
 離れようとするとやたら足に絡みついてくるけど、所詮酔っぱらいなのでかわすことはたやすい。大和さんのバカー、とか、怒りの矛先があっちこっち行き始めたそーちゃんの恨み言を背に、急いで自分のリュックを漁る。確かマネージャーが全員に持たせてくれたんだ。どうしても焼けちゃったら風呂上がりに塗っとけって。これだ。
「そーちゃん、腕貸して」
「なんでだよ」
「ローション塗るから」
「やだよ。もうやめるんだろ」
 はいはい。意味のある会話ができるとは思っていない。相槌を打つことすら諦めて、そーちゃんの両腕を俺の肩に乗せ、あんまり焼けていないであろう脇の下を抱えて起こすと、どうにか座る姿勢は取ってくれた。
 こういうのって風呂上がりすぐに塗らないとあんま意味ないんじゃないのかな。哀れなくらい熱を持ったそーちゃんの前腕に、なるべく摩擦を起こさないように優しくローションをしみ込ませる。手のひらサイズのボトルだから、全身に塗ってたらなくなっちゃうかも。いいや、そーちゃんにあげちゃっても。
「冷たい」
「冷たいほうがいいんじゃないの」
「たーくんは、冷たい……」
「はあ?」
 相変わらず脈絡のない話し方をされているけど、今のは聞き捨てならなかった。素面ならまだしも、酔って言われているというのがなおさら不快だ。そういえば、部屋に行きたくないだとか言ってたんだっけ。
「冷たいのはあんただよ。嫌いな奴にまでいい顔しようとする気持ち、俺には分かんねえ」
 どうせヤマさんとみっきーに苦労話垂れてたんだろ。卑屈になってるとかじゃなく、ただ単純にそう思う。
 真っ白な肌が全身真っ赤になるくらいそーちゃんが頑張りたがりなのを俺は知ってる。頑張って俺にかまうのも、頑張りたくてしてることだって分かっている。上手く言えないけど、そーちゃんにはこれが普通みたいだ。目の前に何かあったら頑張らないと気が済まないのが、自然体のそーちゃんなんだ。
 だけど酒飲んでこんなふうになるくらいなら、やっぱり話は別だと思う。
「嫌いじゃないよ」
 だからしばらく MEZZO” は休んで七人に集中しようって話をしたかったのに、思考の速度も会話の方向も、酔っぱらいとはかみ合わない。
「嫌いじゃないって言ったじゃないか」
「いや、言われた覚えないけど……」
 本当に卑屈になってるとかじゃなく、ただただ事実。だいたい言った言わないの話になるんだったら、俺だって別にそーちゃんのこと嫌いだなんて一度も言ってないんだからな。
「嫌いじゃないよ、環くん」
 正座を崩すみたいにしてたそーちゃんが急に少し腰を上げてこっちにふらついたかと思いきや、ほかほかの腕が俺の首に回ってた。俺の右手はボトル、左手はローションでべたべたで、支えるひまもなくて、されるがまま。
「そーちゃん、どうした、寝ながら塗ろうか?」
「いい」
 反抗だけは的確なそーちゃんの背中に、行き場をなくしたべたべたの左手をくっつける。寝るなら先に胴体塗っときゃよかった、なんて思いながらなんだけど、そーちゃんがぎゅうぎゅう俺の首を締めるから、抱き合うみたいな形になっていてなんだか妙だった。
 耳もとであったかい息が神経をくすぐる。左手にローションを足そうか迷う。そーちゃんの手のひらが俺の後頭部に移って、慰めるようにひとつ、撫でられた。
「嫌いじゃないから、環くん。この世の人は――」
 する、とふわふわの頭が俺の脇を滑って、首元の熱が離れると同時に、ドサッと畳に落っこちるような音がした。はっと我に返ると、そーちゃんが俺の横に倒れ込んで、穏やかな寝息を立てていた。
「……あー、よかった、眠ってくれた」
 突然不可解な行動を取られたものだから、心臓がばくばくいっていた。正しい酔っぱらい方なんて知らないし、どうしたのかと思ってまた心配になってしまってた。ひとまず背中の日焼けあとにもローションを塗り切って、ぐてぐての身体にシャツを着せるのは諦めて、そーちゃんを改めて横にしてから、その上にきっちり布団を掛けた。風邪をひきませんように。
 そーちゃん寝たから静かに戻ってきて、ってヤマさんにラビチャしとこう。もう朝まで起きてほしくないし。一連の仕事を終えたらどっと疲れて、俺もこのまま寝ることにした。横たわってひと息ついたところで、ぴかぴかとスマホのランプが光る。サイレントモードにしておけばよかった、とあと一度きりのつもりで画面を点灯させたら、ヤマさんからのメッセージの通知だった。
『そういや、もう MEZZO” やめるなんて言うなよ』
「……言ってないよ」
 どいつもこいつもはこっちの台詞だ。大人たちみんな、俺の気持ち勝手に推測して決めやがって。
 少し幼く見えるほど安らかに眠るそーちゃんをはたきかけたけど、寸でのところで思いとどまって、泳いだ手をさらさらの髪に潜らせた。そんなこと愚痴ってたのかよ、バカ野郎。俺には人に話すなって言ってたくせに。
 そういえば、結局水を飲ませるのを忘れた。でももういいや、廊下がざわついてきたから、皆が戻ってくる前に寝たふりを決め込みたい。寒くもないのに掛け布団を頭までかぶったら、先ほどの後頭部への温もりがよみがえってきて、かえって落ち着かなくなった。
 ――嫌いじゃないから、環くん。この世の人は、簡単に君を捨てたりしないから。
 ほんと、余計なお世話だよ。言ってることスケールでかすぎだし、そんなことあんたが実践して俺に示してやる義理もないだろ。
 内心そう悪態をついたけれど、そーちゃんはそんなことかけらも知らないって顔で、相も変わらずすうすうと眠り込んでいる。苛立ちとは違うもどかしさが火照ったようにむずがゆくて、俺はそーちゃんの隣で初めて、なかなか寝付けない夜を体験した。