042 ビターチョコ

 ちょっと待てば久々に七人で晩ご飯が食べられる! ということで、俺とそーちゃんが寮に戻ると、早めに帰宅したみっきーとりっくんが、せっせと餃子を包んでいた。
「僕も手伝いましょうか?」
「いや、今日はオレらスペシャルだから! 風呂掃除でもしててくれよ」
「七人なら鍋とかにすりゃよかったのに」
「三月が言うには、七人じゃないと食べられない餃子なんだって」
 オレもまだちゃんと教えてもらってないんだけど、とりっくんは言う。なんだそりゃ。言われるがままそーちゃんはお風呂へ、俺は部屋へ大人しく戻った。グルチャで召集がかかる頃には、お腹はもうぺこぺこだった。
「待って。お兄さんいち抜けた」
「ほー、陸のこの表情見てもそう言う?」
「OH……『捨てられた子犬のような顔』です……」
 いおりんも何かを察したのか、キレーな顔をうへっと歪ませている。頭にハテナが浮かんでいるのは、俺とそーちゃんだけみたいだ。
「みっきーとりっくんのスペシャル? だっけ?」
「おう。早い話が『ロシアンルーレット餃子』だ!」
 二人の説明を聞いたところ、中身にいくつか変わり種を仕込んであるらしい。誰に当たるか分からないから、大人数でやるのが面白いのだという。普段ポーカーフェイスないおりんとヤマさんが嫌そうな顔をしてるのはそのせいか。
「兄さん、どうせ当たりは激辛なんでしょう」
「そりゃそーだ。ぬるいモン入れて何が楽しいんだよ」
「え、辛いの? 俺もやだ!」
「へえ。食べてみたいな」
 そーちゃん、さっきまでイマイチ理解できないといった顔をしてたくせに、激辛と聞いた途端、目をキラキラ輝かせ出した。一人だけ有利だなんてずるい。
「皆そんなに緊張しないでよ。当たりは二つだけだから」
 りっくんがあまり慰めになってないフォローを入れた。五十個は詰んであろうかという男七人分の山の中に、当たりが二つ沈んでるのかとおののいたけれど、幸いナントカルーレット用の餃子は、別の皿に六つ取り分けてあった。りっくんは喉に悪いから棄権だって。
「じゃあ、いただきます!」
 元気よく声を上げたのは、コック二人とそーちゃんだけだ。後の四人は箸を握りしめて、例の皿を前にワナワナしてた。
 そんで、俺って結構くじ運いいんだ。
「みっきー……」
「お? 環当たった?」
「辛い……てか苦い……」
「ニガテなのにごめんなー」
 吐き出すわけにもいかないし、急いで水を飲もうとしたら、余計広がるんじゃなかったっけってヤマさんが言い出した。タバスコだかハバネロだか知らないけれど、舌も唇も腫れたように痛くて想像以上にしんどかった。そういやもう一つの当たりは誰だったんだ。ぼろぼろと涙があふれる目をこらして、食卓を見渡してみる。
「あれ、もしかして僕かな?」
 泣きながら耐えてるメンバーは今のところ俺しかいない。
「サイアク、かわいそーなの俺だけじゃん……」
「ご、ごめんね。口直しにプリンを」
「こないだ『センパイ』にあげちゃってたじゃんか!」
 そーちゃんが慌てて冷蔵庫を確認してたけど、ない。そーちゃんが二度も三度もプリンを客に流すもんだから、俺も呆れてきてたんだけど、やっぱり許してやらなきゃよかった。ていうかせめて補充しとけよ。
「それで自分はヘーキな顔してんだからむかつく!」
「ごめんってば、代わりにサラダのニンジン食べてあげるから」
「辛いのは変わんねえよ! そーちゃんのバカ、オニ、ドンカン、フカンショー」
 おい壮五そういう問題じゃ……と口を挟みかけたみっきーが固まった。怒鳴られるがままのそーちゃんも固まってた。――俺のサラダに勢いよく箸をぶっ刺して。
「……そ、そーちゃん」
「ソウゴ……立て箸いけません……」
 ナギっちのズレた説得もたぶん聞こえてない。そーちゃんはぶっ刺したそれをゆっくり引っこ抜くと、腰を落ち着けてフツーの餃子を食べ始めた。食卓の空気は、ルーレットをする前より格段にサツバツとしていた。
 最初に席を立ったのは普段食べるのが遅いそーちゃんで、皆も茶碗がカラになり次第、それぞれテレビ鑑賞や食器洗い当番に散っていった。俺はサラダの箸がいつにも増して進まなくて、残ってちびちび食べていたら、みっきーが申し訳なさそうに眉を下げながら、小さな白い箱を持ってきた。
「ごめんな、環。これ、景品な」
 フタを開けてみると、ツヤツヤのチョコレートケーキが二つ並んでいた。聞けば昨日りっくんが食レポロケでもらった品らしく、今日のルーレットはこの争奪戦を兼ねていたらしい。
「壮五は当たっても誰かに譲るだろうから、当たりは壮五の好きな味にしたんだけど。お前はちょっとキツかったよな」
 涙目で箸をねぶる俺の頭を、みっきーが優しく撫でてくれる。
「にしても、あんな言葉どこで覚えてきたんだ」
「やっぱ最後のがダメだった? クラスのヤツが言ってた」
「うーん……」
 ソファでぐうたらしているヤマさんの頭を、みっきーがチラと盗み見る。リーダーに相談するほどのアレなのか。その割に、肝心のリーダーは放任モードに入ってるけど。
「やっぱ、謝ってきたほうがいい?」
「う、うーん。そうだな。一応景品見せてきな」
「うす」
 サラダのニンジンは相変わらず苦手だったけれど、食べ進めるとリンゴが出てきて、唇や舌のヒリヒリはそれでいくぶんかマシになった。

「そ、そーちゃん。入ります」
 入ってもいい? なんて尋ねる勇気はなくて、鍵が開いていることを祈りながら、半ば勝手に扉を開けた。椅子に座ってヘッドホンをしているそーちゃんは、気付いているのかいないのか、こちらをチラリとも見やしない。
「あの……これ。景品だって」
 声を掛けられるまで待っているのもばつが悪くて、結局そーちゃんの肩を叩いた。そーちゃんは溜め息一つこぼさずヘッドホンを外すと、箱の中身を確認した後、ひどくゆっくりと俺の顔を見上げた。眼光は鋭くはないけれど、なんだか冷たく感じて怖い。
「僕がお菓子好きじゃないのは知ってるだろう。君にあげるよ」
「でも、当たったから一応ほーこく」
「そう。ありがとう」
 そーちゃんはヘッドホンをつけ直すことはなかったけれど、それきり本を読み始めてしまって、「用が済んだなら出てって」とでも言いたげだ。けれどここで引き下がったら、明日には逆にケロリとされていそうで嫌だ。そりゃ俺だって怒っていたけど、そーちゃんが何を考えているか分からないのは、プリンがなくなるのと同じくらい悲しい。
「そーちゃん。ごめんなさい」
「どうして怒ってるか分からないくせに謝るなって、いつも言うのは君のほうだろ」
「やっぱり怒ってる?」
「怒ってないよ」
「怒ってんじゃん。フカンショーって言ったのが悪かった?」
 そーちゃんのまぶたがぴくっと震えた。読んでた本が閉じられる。けれど視線すらこちらに向くことはない。
「怒ってない。人より辛い物が好きなのは本当だし」
「じゃあなんでそんなに怒んだよ」
「だから怒ってないって」
「そーちゃんスマホ貸して」
「え? ちょ、ちょっと」
 ラチが明かないしネットに頼ろう。そーちゃんも俺の意図を察したのか、スマホを取り返そうと立ち上がる。俺はありったけ腕を天井に伸ばして、絶対届かないようにしてやった。飛び跳ねたりぶら下がったりするそーちゃんの手をかわしながら、目的のワードにたどり着く。
「……そーちゃん。本当って本当?」
「な、なにが」
「怒ってないの? 本当にそうなの?」
 そーちゃんが止めに入った理由はなんとなく分かった。調べなきゃよかったって気になってきた。そーちゃんもいっそ怒んなきゃよかったって顔になってる。知りたくなかったなんてことは絶対にないけど。
「うそでしょ、そーちゃん」
「う、うそだよ」
「でもさっき本当って言った」
「言ったけど……」
 そーちゃんが次に発する言葉で、俺の罪が決まってしまう。初めてそーちゃんとしたのはいつだったっけ。その頃からずっと、俺は何も知らなかったんだろうか。
「君が思ってるようなことはないから」
「ほんとに?」
「本当だよ! 今までそうだと思われていたんなら心外だっ」
 背けられたそーちゃんの顔は真っ赤だ。よく見るとだんだん可愛く思えてきた。そういう話をしてたんだっけ? でも今はそんなことより、唇をきゅっと噛んだそーちゃんをこちらに向かせたい。
「シツレイします」
「ひぁっ!?」
 無防備な首筋に舌を這わせたらあられもない声が上がった。俺の頭を押しのけようとする両手を掴んで、耳もとから首の付け根まで、ちゅ、ちゅ、と丁寧に口づけていく。
「ま、待って」
「ベッド行く?」
「そ、そういうことじゃなくて……」
「……やっぱ怒ってる?」
「そういうことでもなくて……」
 少ししょんぼりしすぎたかもしれない。そーちゃんまで弱った目をし始めた。たまにぷりぷりするそーちゃんをなだめる時と同じように、肩に頭を抱いて撫でてやって、ずりずりとベッドへ移動する。そーちゃんの膝裏が角に当たってかくんと折れて、そのまま二人、シーツへ沈んだ。
 浮いた鎖骨に噛み付くと、そーちゃんが甘い吐息で声を殺した。自由になった腕が必死に俺の胸を押し返す。
「あっ……!」
負けじとシャツの下に指を滑らせると、驚いたのか腰が大きく跳ねた。
「あっ、待っ……、や」
「やっぱ気分じゃない?」
「そっ、いう、ことじゃ……」
 嫌がるそーちゃんの手が、ぷるぷると小刻みに震え出した。そーちゃんは目を見開いて、俺の胸から手を引くと、細い指をぎゅっと握った。まるで震えるのを止めようとしてるみたいだ。今までどんなに気持ちよがっても、こんなことは絶対なかった。
「そーちゃん」
「な、なんでもないよ」
「なくない。見せて」
 力の入らないそーちゃんの手を俺の両頬に当てたら、弾みでぽろっと涙がこぼれた。そーちゃんに訊こうと思ったことが、言葉になる前に全て分かってしまった。
「そー、ちゃん。初めてした時……ううん、その次も、ずっとしばらく」
「過ぎた話はやめよう。……続きをしよう」
「しない。過ぎてない。思い出した。……そーちゃんも」
 自分で押し倒したそーちゃんの身を起こして、肩をぎゅっと抱きしめる。男の人だと分かってるけど、やっぱり薄くて頼りない。
 初めてした時、痛いって言ってた。でもちゃんと言ってくれたし、俺もまあまあ痛かったし、二人でそれなりに調べたし、仕方のないことだと思ってた。二人で根気よく頑張れば、ちゃんと気持ちよくなれるって分かってたし、事実、ケンカもしながら二人で何度も、いろんなことを試してここまで来れた。
「来れたのに……」
 そーちゃんは何も言わずに、震えたままの指で俺の背を撫でた。そのまますがるようにしがみついて、長いこと我慢し続けていた泣き言を吐く。
「隠れて調べたよ……いろんなこと。このままちゃんとできなかったらどうしようって、それだけで眠れない日が何度もあった」
 そーちゃんが痛いほどに腕の力を強くしていく。そーちゃんの震えが俺の腕に移って、自分が一気に役立たずに感じた。
「君が気持ちいいなら満足だった。でも、あの時君に『怖い』って言えたら、もう少し楽だったのかも……」
 そーちゃんの言葉を最後にしばらく、二人で抱き合ったままでいた。俺の目からは涙がぼたぼたこぼれたけれど、しゃくり上げるのは意地でもこらえた。上手く説明できないけれど、俺が泣いたらいけないと思った。
「もう言えたからいいよ。これからもちゃんと言うから……って説得力ないかもしれないけど」
 でもちゃんと言うから、と念を押したそーちゃんは、いつもどおり優しく笑っていた。無理してないか疑う気持ちがなかったわけじゃないけど、俺もそーちゃんに気を遣わせないよう、急いで頬を拭った。
「俺も頑張る。そーちゃんだけに頑張らせない。……えーと、何を頑張ったらいいですか」
 そーちゃんのことなんだから、そーちゃんに聞くのが一番早い。もしそーちゃんが分からなかったら、また二人で調べたり試したりしよう。ちゃんとできるか不安だけれど、泣きそうな時は俺も言えばいいよな。俺が一生懸命アタマを整理している間、そーちゃんも一生懸命考え込んでいて、うー、と短くうなった後、再び真っ赤に染まった顔をおずおずと上げた。
「それは……君がこれから、僕のことを死ぬほど気持ちよくさせるしかないんじゃないのか」
 恥ずかしいのか後悔したのか、そーちゃんがずり、と腰を引く。つられて俺も真っ赤になってしまった。あんなにヒリヒリした気持ちの後のやり取りが、こんなありさまでいいんだろうか。
「そーちゃん」
「言わないで。言いたいことは分かる。でも、バカみたいな話だけど、真面目に考えた結果なんだからね」
 そーちゃんの手はまだ少しだけ震えてた。それをたどって、肩にたどり着いて、おそるおそるもう一度俺の胸の中に収める。言葉を交わす前あんなに冷たい瞳をしてたそーちゃんの身体が熱い。
「……キス」
「なに、そーちゃん」
「まだしてない。今日」
「そっか。ごめん」
 何がごめんなのかもあやふやなまま、薄く開いたそこにあいさつをする。焦れたように伸びる舌先の温度は、まだ俺のほうが少し高い。いつかそーちゃんが体の境を忘れるくらい、ぐずぐずのとろとろに溶かしてやりたい。
 翌朝、溶けたチョコレートケーキに気付いて俺が泣くのは、また別の話。