041 twinkle tone

 都内から電車で一時間強、そこからタクシーで二十分。大きな荷物を手分けして抱えて、まるでちょっとした逃避行みたいだ。
 夜道にいざ二人きりになると、街灯よりも自動販売機のほうが頼りになる。転ばないようにねと呼びかける前に、環くんは駆け出してしまった。
「そーちゃん、すっげえ! 星ちょー見える!」
「環くん! 荷物、僕一人じゃ持ち切れないよ」
「あっわりぃ。忘れてた」
 閉まりかけていた門をくぐって、受付でバンガローの鍵を借りて、手前の広場を周ってさらに奥の、貸切状態のキャンプ場に到着した。
「人いねー。さすがにさみーからかな」
「もうじき流星群が見えるんだって。皆その時期に来るんじゃないかな」
「えー。俺も見たかった」
「クリスマスシーズンでそれどころじゃないだろ」
 流星群の頃は満月だから、街から離れてもどのみち空がまぶしいけれど、近くの公園で月面を眺めがてら、流れ星を探してみるのもいいかもしれない。一方で今夜は新月だ。明日はまた昼から仕事だとはいえ、この日に時間を作ることができたのは運が良かった。
「三脚と鞄、運んでくれてありがとう」
「おー。先に小屋行こ。上着着たい」
 四畳半ほどのバンガローにはいくつかの寝袋とマットレス、小さな電気ストーブだけが置いてあった。真冬に天体観測なんて何を着ればいいのか分からなくて、ウェアーもマフラーも手袋も、帽子から靴下まで、去年のスキー場での撮影でもらったものを全て持ってきた。
「そーちゃん、早く組み立てよ」
「めずらしくせっかちだなあ……」
 体中にカイロを張り付けて、観測機材一式を携えて、再び無数の星の下へ躍り出た。僕を急かす環くんに苦笑いしながら、僕自身も気が高ぶっていた。
 通信販売で購入した天体望遠鏡は、寮で何度か組み立ててみたけれど、暗いとやっぱり難しい。懐中電灯を持った環くんは、作業を見ているのに飽きたのか、そのうち夜空を眺めてぼーっとし出した。
「お待たせ」
「ちょー待った」
「何が見たい?」
「銀河」
「えっ……」
 慌てて付属の星座盤を回したけれど、そんなものどこにも載っていない。事前に調べた本やサイトでも「冬は一等星がたくさん見られる」といったようなことばかり書かれていて、自然と恒星以外の情報はノーマークのままになってしまった。
「ちょっと待って、アンドロメダが北に……ええと……」
「めずらしく準備わりぃな」
「仕方ないだろ! 初めてなんだから」
「そーちゃんそれ貸して、ライト持ってて」
 押しのけられるがまま望遠鏡の前を明け渡すと、環くんは僕の説明も聞かずに、ハンドルやノブをいじり始めた。ファインダーを覗いたことなんかあるんだろうか、時々星座盤を確認しながら、早くも何かを視野内に捉えたようだ。
「おお。見える。もわってしてる」
「地図は読めないくせに……」
「そーちゃんこそ地図は読めるくせに。ほら、見てみ。きりん座」
「き、きりん座?」
 いきなり耳慣れない星座の名を出されて、頭が追いつかないままレンズを覗いた。環くんの言うとおり、周囲の星より淡い光の円が、暗闇にぽわんと浮かんでいる。
「……こんなのよく調べてきたね」
「夏見た天の川って、銀河の内側なんだろ。外側も見たくて、調べた」
「星座盤にも載ってないじゃないか」
「おー。代わりに他の全部忘れた。もっとあった気するけど」
 あとはそーちゃんなんとかして、と懐中電灯を奪われた。主要な星座は大体調べてきているつもりだ。また予定外のリクエストをされないかヒヤヒヤしながら、僕も本日初の成果を環くんに示す。
「これは知ってる? おうし座のプレヤデス星団」
「なんかもっとカッケー名前あったろ」
「『すばる』かな」
「それのが覚えやすい。なあ、目で何個見える?」
「五……六個?」
「やりー。俺七個。そーちゃん、本読みすぎじゃねえの」
 せっかくフォーカスを合わせたのに、環くんは僕の袖を引っ張って空を指差す。真っ白な息がその先へ昇る。思ったより寒さが堪えていなくてよかった。
 青い光が散らばる僕たちのような星団の他にも、冬の澄んだ空には美しい天体がたくさんあった。太陽に似た暖かな色のカペラ、V字に連なるヒヤデス星団、小さな伴星が寄り添うリゲル。
「ふたご座は、明るいほうが弟なんだよ」
「ほー。どっちもきれいだな」
「兄のほうが暗いなんてちょっと複雑な気持ちになるよね」
「そーか? どっちもきれいだからいいじゃん」
「望遠鏡で見るともっときれいだよ」
「おお。兄貴のほう、仲間いんじゃん」
「二重星に見えるけど、本当は六重星なんだって」
「友達多いのか。みっきーみたいだな」
 ムラサキシジミのようなオリオン大星雲を見せた時にも、環くんは「そーちゃんみたい」と感想を言ってくれたけれど、大抵「きれい」「きれい」とばかり繰り返すので、退屈していないか不安になってきた。
「環くん、ほら、あの赤い星を入れたよ」
「おお、ほんとだ。ちょー赤い」
「僕たちが生きている間に、超新星爆発を起こすかもしれないんだって」
「ちょー……なに?」
「大きな星が一生を終える現象だよ。赤い星は大抵、年老いた星なんだ」
 環くんが夜空とレンズの中を見比べる。食いついてくれたかな。少しでも楽しかったと思ってほしくて、調べてきたことを必死に説明する。
「今見てる光が、何百年も前に発されたものってことは、君も知ってるだろ。だからもう爆発はしているかもしれないんだけど……どの星でもそんなふうになれるわけじゃないんだ」
「しぼんじゃうような星もあんの?」
「簡単に言うとそうだね。大きい星じゃないと無理なんだ。もし爆発の光が地球に届いたら、三日月くらいの明るさで輝くんだって」
「へー……」
 二人して黙り込んで天を仰いだ。今まで気付かなかったけれど、風の音がしない。普段歓声の中にいるせいか、こんな広い場所で二人きり、静けさに浸るなんて滅多にない。
「死ぬまでそんなキレーならいいよな。俺もでっかくなりたい」
「もう十分大きいじゃないか」
「なあ、爆発が終わったらどーなんの?」
「近くにいいのがあるよ。ええと……」
 思いつくまま鏡筒を動かしていたおかげで、操作には手間取らなくなってきた。それでも今夜の環くんはしきりに「まだ?」と急かしてくる。フォーカスを調整する僕の頬に、環くんの鼻息が当たる。レンズが曇るよと鼻をつまんだら、んん、とうめいて多少大人しくなった。
「なんかぼやってしてんな」
「カニ星雲って呼ばれてるんだって」
「カニ? ほー。そう言われるとうまそう」
 そろそろお腹が空いてきたのかな。食料を持ってこようと立ち上がったら、環くんもついてきた。小屋に入ってしまってもよかったけれど、もったいなくて結局、鞄ごと持って外へ戻った。
 普段はあまり買わないようにしているけれど、駅のコンビニで調達したおにぎりを、望遠鏡の横に座って頬張った。冷たいのにうめーな、と環くんが口をもごもごさせる。魔法瓶に入れておいたコーンスープをごちそうしたら、喜ぶあまり舌先をやけどしていたのが可愛かった。
「ちょー赤いのと、明るいのと、横のちょい明るいので冬の大三角形」
「夏の大三角形も、環くんが教えてくれたよね。これは知ってる?」
「待って待って。指動かすの速い」
「ちゃんと見てて。シリウスからもう一度始めるよ」
 おおいぬ座に従うプロキオン、兄を見守るポルックス、陽だまりのように輝くカペラ、牡牛の瞳のアルデバラン。青くまばゆいリゲルを終着点に、大きな六角形が描き上がる。
「冬のダイヤモンドだよ」
「おお。ちょーでかい」
「改めて見ると、本当に宝石箱みたいだよね」
「なに言ってんの。星は星じゃん」
「そのくらいきれいだよねってこと」
「よく分からん。星は星じゃね?」
 そんなことより食ったら眠くなってきた、と環くんが僕に寄りかかった。こんなところで寝たら爆発するまでもなく死んでしまう。小屋に行っていていいからと叩き起こして、僕も急いで望遠鏡を片付ける。一人で戻るのは怖かったんだろうか、環くんはその間、僕の後ろで待っていてくれた。
 君には一生言わないだろうけど、天狼みたいに輝く君を、それこそ宝石みたいにこの手の中に隠しておけたらいいのにと願うことがあるよ。満天の星の中にいるのを見ると、ここが一番だなあとは思うけれど。
「そーちゃあん……眠い。しぼみそう」
「ごめんごめん」
 電気ストーブを点けておけばよかったなと悔やみながら、厚手の寝袋を二人分並べて、ありったけのカイロを放り込んだ。やはり寝心地はあまりよくなくて、環くんもしばらく、もそもそと動いていた。
「なあ、サザンクロスっていう星ある? そーちゃんが貸してくれた曲に出てきた」
「南十字座のことかな。日本じゃちょっと難しいかもね」
「どこ行けば見れる? アメリカ?」
「南半球なら見られるよ」
「オーストラリア?」
「ふふ、オーストラリアでも見られるね。いつか仕事で行けるといいな」
「別に二人で行けばいいじゃん……」
 ミョーに良い望遠鏡買っちゃったんだろ、ヤマさんがびびってたぞお、と半ば寝言のようにつぶやきながら、環くんはむにゃむにゃ眠りに落ちてしまった。なんだ、バレてたのか。忙しさにかまけてインターネットで勢いのままに購入してしまったから、僕には少々手に余る品なのだ、実は。
「せっかくだからいっぱい使わないとね」
 環くんが星に興味があると知らなかったら、僕も天体観測なんかとは無縁だったに違いない。教えてもらえて本当によかった。僕としては星もきれいだったけれど、「きれい」と感嘆する君の声が、僕だけにしか聞こえないのが嬉しかった。