037 メイクライフ

 君がくれた名前で二つ目の心が呼吸を始める。初めて空を見上げた子供みたいに、無邪気に光に手のひらをかざして、自分の小ささに臆することなく、まだ知らぬ果てへと産声を響かす。
 二人だけしかいない宇宙で、自分の体の形を知る。その味、色、音、ないがしろにしてきた全てを示され、余すことなく確かめた上で、僕はようやくはいと頷く。途端感覚の一切が入れ替わったみたいに、君のことしか分からなくなる。それでかまわないのだと信じられるのは、君も同じく、僕の名前しか呼ばないから。
「そーちゃんって」
「うん?」
「えっち好きだよな」
 もう汗もだいぶ引いた頃、正気で突然そんなことを訊かれて、どういう顔をするべきか迷った。笑ってごまかす回数が減ったのは、我ながら悪くないことだと思うけれど。
「意外かな」
「意外っつーか。意外だけど。ヘンな意味じゃなくて」
「ヘンだなんて思ってないよ。そのままの意味だろ」
「……うん」
 真顔で返すと、環くんも似たような表情になった。別に照れ隠しで淡白な態度を取っているわけじゃない。好きだよとにこやかに答えるのもおかしな話だろう。僕の気持ちは、否定しなかったことから汲み取ってほしい。
「言っておくけど、君とだからだよ」
「だからヘンな意味じゃないって」
 それとも、恥ずかしい? 特にからかうような態度も見せずに、環くんが僕の頬へ口づけを落とす。引き続き返事をしないままでいると、とうとう不思議そうに首をかしげられた。
「俺、やなことゆった?」
「そんなことないよ。恥ずかしい話でもないし」
「でも、最中は時々恥ずかしそーにしてるよな」
「そりゃ、時々はね……」
 環くんはその恥ずかしそうなところも好きだと言うけれど、僕は困る。そういう時って必ず我に返ってしまった時だし、そうすると途端に二人のテンポが合わなくなる。溺れ切ってしまっている時が一番気持ちいい。その溺れ方がまだ手探りだから、僕たちはこんなふうに、言葉で試行錯誤を重ねる。
「逆に訊くけど、環くんは恥ずかしくなったりはしないの?」
「わからん。たぶんない。そーちゃんのことで手一杯」
「あ、そう……」
「ほらまた、恥ずかしそーな顔する。俺のことだけ考えてりゃラクなのに」
「そういうわけにもいかないよ」
「俺のやり方が足りねえの?」
 環くんがまぶたに唇を寄せたのと同時に、視界をそっと闇に委ねた。やがて離れた熱の行方は追わず、先ほどの営みに思いを馳せる。
 僕が環くんに溺れている時、環くんも僕に溺れているように見える。僕たちが本当に「一つ」になっているというなら、僕たちが溺れているのは単なる目の前の相手じゃなくて、それこそ海みたいな、一つの同じ場所のはずだ。
 それがいつも突き止められなくて、結局僕たちは言葉を投げ捨て、またどちらともなく身体を重ねる。焦れてせわしない手を指先で諌めて、鼓動を揃えるところから始める。
「触ってもいい?」
「もう少し」
「こういう時だけわがまま言うよな」
「そりゃ僕だってたまにはね」
 人を好くことは、その人になりたいと願うことと似ている。人を抱くことは、その人を手に入れたいと願うことと似ている。その狭間を揺れるように行き来した果てに落ち着いた場所が今いるここだ。彼と触れ合わなければ自分の皮膚がこんなに柔らかいことも、同時にあんな痛みに耐え得ることも、一生知らないままだった。触れ合ってそんなふうに作り替えられたのか、太古からそうだったのか、判る日は来るんだろうか。
「俺もそーちゃんとだから、好きだけど」
「うん」
「それって、自分を好きになるのと似てる」
「そうかな?」
 怖れを伴わない未知が、こんなにも幸せだったとは。君の膨れ面を優しく撫でて、今夜も同じどこかへ流れる。