036 世界で一番愛しい君へ

『僕の一番がいいと言うなら、環くんも僕を一番にしてくれないとダメだ』――そーちゃんがベッドで俺に怒鳴ったのは、今でもあの一度きりだ。
「おはよう、環くん。オムライスに王様プリンを描いておいたよ」
「どう見ても王様プリンじゃないんだけど」
「熱で溶けてしまったんだよ。文句を言ってないで、急いで食べてくれ」
 俺がちゃんと自分の部屋で寝た日の朝は、そーちゃんは俺のことを起こしにくる。けれど同じベッドで眠った時は、そーちゃんは何も言わずに先に起きる。寒さと広いシーツの寂しさで俺が目を覚ますことを、そーちゃんが知ってるのかは、俺は知らない。
「いただきます」
「うん」
「……なんで見てんの?」
「おいしいかな、って」
 黄色いお布団の下から覗いた赤いご飯は、ちょっとドキッとしたけど辛くはなくて、優しいケチャップの味がした。
「おいしい」
「よかった。食べたら学校だよ」
 言いながらそーちゃんは洗濯機置き場に向かった。今日の洗濯当番は、食事当番だったそーちゃんじゃないはずだけど、寮で俺と一緒に寝た翌朝のそーちゃんは、なぜだか異様に働きたがる。
「あんだけ可愛がられるってどんな気持ちよ」
 食べ終わったお皿を軽くゆすいでいたら、ソファで二度寝してたヤマさんに茶化された。ラップがかかってるオムライスには、なんのイラストも描かれていない。
「別にどうも」
「お年頃のくせして淡白なこと」
「そーちゃんは俺のこと可愛がってるわけじゃねえもん」
 席に着いたヤマさんは何もかけずにオムライスを食べようとしたので、俺がカンペキな王様プリンを描いてやった。
「そんなことないと思うけどなあ」
「なんでわかんの」
「お兄さんだからかな?」
 そんならヤマさんが分かってること、全部教えてどうしたらいいのか考えてよ。むすっとしながら共用スペースを後にして、そーちゃんに言われたとおり、制服の袖に腕を通す。
「環くん、ジャージが干しっぱなしになってたよ。はい」
「……あんがと」
「玄関で一織くんが待ってるよ」
「先行って言っといて」
「言ったけど待っててくれるって」
 ほら早く、とそーちゃんがカバンの中身を確認し、時間割と照らし合わせる。その間に畳んだハンカチを持っていくと、忘れなくなったね、と笑ってくれた。
 時間はギリギリになってしまったけれど、ユウトーセーのいおりんに遅刻はさせられないと思ったらなんとか間に合った。お見送りしてくれるそーちゃんとヤマさんに手を振って、スーツのおっさんばかりの通学路を早足でたどる。
「何しょぼくれた顔してるんですか」
「今日はしゃべんない。八つ当たりしそう」
「あなたの八つ当たりくらい痛くもかゆくもありません。また逢坂さんとケンカしたんですか」
「……してない」
 そーちゃんのことを好きだと言った日から何かが変わった。当たり前のことかもしれないけれど、本当に何かが変わったのだ。俺はそれまで言わなかっただけでずっとそーちゃんのことが好きだったし、かといってそーちゃんも俺の気持ちを知った以外に、何かを始めたわけでもないのに。
 そーちゃんと時々一緒に寝るのだって、ユニットを組んだ頃から続いている。俺がそーちゃんのベッドに潜り込むのは、暗いのが苦手だからというだけじゃない。そこでしかそーちゃんと二人きりになれないからだ。そーちゃんもそれを分かっていて、いつも俺のことを許してくれた。
「そーちゃんはさ」
「しゃべらないんじゃないんですか」
「独り言」
「そうですか」
 俺の人より低くて小さい声が、数歩先のいおりんに全部聞こえるのかは分からない。
「りっくんを悲しませたこと、気にしてるよな」
 そーちゃんがお腹を壊して倒れた日、「家族を捨てた」って俺より先にりっくんに話していたことをようやく知った。俺に一番に話してほしいと思ったわけじゃない。だけど話さないなら、俺との間に最初からそんな気持ちを持ち込まないでほしい。りっくんの悲しみはりっくんの悲しみだし、俺の寂しさとは別のところにある。そういう意味で、俺を一番にしてって、そーちゃんに詰め寄ったことがある。
『だけど、いつか君は僕を一番だと言えなくなる』
『可愛い普通の女の子を好きになって、家庭を持ちたいと思うようになる』
『現に僕は血のつながった家族を捨てた』
『他人を手放すことなんかもっとたやすいんだ!』
 俺は近くにいた人に置いていかれる寂しさを知ってる。だから置いていかれるのは、怖くない。そーちゃんも怖がらないで、俺のことを好きになってほしい。俺の告白はそーちゃんの泣き声みたいな叫びで、一夜にして涙に溶けた。
「そーちゃんが不安そうにしてるから、俺がしっかりしてなきゃいけねえの」
「七瀬さんと逢坂さんも、少しずつお互いの傷を癒す努力をしてますよ」
「知ってる。ちゃんと見てる」
「もう少し待ってあげたらどうですか」
「わかってる……でも、いつまで」
 いつまでも待つ覚悟はできてる。それが誰かと生きるってことだと思う。でもそーちゃんが諦めそうになってしまった時、それを助けてあげられる力が俺にはない。
 でも俺は、そーちゃんとずっと一緒にいたいと思った時、誰とも一緒にいられなかった自分にもこんな決意ができるんだって嬉しくて、初めて一人で泣き笑いをしたんだよ。