032 人知れない

 そーちゃんがお酒飲むの、本当はちょっと怖かった。親父があんなだったから、真面目な奴はあんま飲まないもんだと勝手に思い込んでたし、その思い込みを飛び越えて、あんなべろんべろんになるまで飲むなんて、そーちゃんも実は口に出さないだけで、何もかも捨てたくなるような思いを抱えてるんじゃないかなんて悲しくなった。
 だからといって、頭ごなしに「飲むな」とは言わない。俺がお酒を飲めるようになっても言わないと思う。飲みたがる時のそーちゃんが何を考えているのかまだよく分からないままだけど、酔っぱらったそーちゃんに付き合って、ありったけのわがままを聞いてやって、忘れられてしまうのを承知で体を重ねる時、分からないままのそーちゃんの気持ちを、半分こしてもらえている気がするから。
「そーちゃん、気持ち悪くない? どっか痛くない?」
 そーちゃんのおかげで、客室備え付けのお茶を淹れるのが上手くなった。少し冷ました湯呑をベッドサイドのテーブルに置いてやると、枕にうつ伏していたそーちゃんがちら、とこっちを見る。
「たーくん……」
「なに」
「隣来て」
「はいはい」
 数分出てただけなのにこのありさま。来て来てと言うわりに、そーちゃんのほうからは来ようとはしない。今はだるいんだからしょうがないけど、元気な時もいっつもだ。
「はい、来たよ。お茶飲みな」
「いらない」
「体冷えんだろ」
「たーくんは」
「俺は水でいい」
「だめ。お酒は?」
 お酒ぇ? 思わず声がひっくり返る。酔ってるとそこまで脳みそ鈍るのか。
「俺は飲んじゃダメだろ」
「二十歳になったら……。ねえ」
 食べさせて、って言う時と同じ、ねだる瞳で見つめられる。本当にお酒がある席でやられたら厄介だ。俺は流されやすいそーちゃんと違って、ちゃんと断れるからいいけど。
「俺は酔うほど飲まねーと思う」
「なんで……」
 キッパリ言い放ってやると、そーちゃんがあからさまに眉を寄せる。枕に埋もれた唇はとんがっているだろう。お茶を飲ませるのは諦めて、なかなか上がらない頭をぽふぽふと叩いてやる。
「なんでも何もねえの。俺が酔ったら、誰がそーちゃんの世話すんだよ」
「やだ。寂しい」
「どこがだよ。俺いつも隣にいてやんじゃん」
 ちくっとした胸を収めて答える。俺はそーちゃんの「寂しい」に弱い。そーちゃんの意思よりマシだと思うけど、最後はどうしても突き崩される。
「いつも僕だけ楽しくて寂しいよ」
「別に俺、退屈じゃねーもん」
 一応抵抗はしてみるけれど、ぐらぐら、心が揺らいできた。飲んでやるって言ったら笑ってくれるかな。朝には忘れてるんだしいいか、そんな基準で決めてしまう俺は、いおりんの言う通り、自分にもそーちゃんにも甘いんだろうな。
「俺と一緒に飲めたら嬉しい?」
「一緒がいいよ」
「もし俺が乱暴なことしたらとめてくれる?」
「とめるよ」
「ほんとかよ……」
 望んだ顔で微笑み返してくれるそーちゃんは、ふわふわという表現がぴったりで、のしかかったら潰れそうだ。試しにそーちゃんの手を強めに握って引っ張ると、そーちゃんにも意図が伝わったのか、ぐいっともとの位置に引き戻された。ぐいぐい、腕相撲みたいなやり取りがしばらく続くと、焦れたそーちゃんが馬鹿力を出して、俺の手の甲にちゅっと口づけた。
「……そっか。大丈夫かもな。親父殴った時、あんた俺のこととめられたもんな」
 場合によっては俺を震え上がらせることもある、そーちゃんの数々のブユウデンを思い出す。本当に危険が迫ったら、そーちゃんは自分で自分の身を守れるはずだ。相手が無事かは保証できないし、俺もおダブツになるかもしれないけれど。
「殴るのはだめ」
「おー。だめな。分かってっから」
「僕は酔ってるたーくんとセックスしてみたい」
「なにそれ、そーいう話?」
 俺が悩んだ時間を返してほしい。人の気も知らないで、そーちゃんは甘い顔を赤くしている。でも俺にとっては、どちらにしろ楽しい話題じゃない。酒が絡むんだからしょうがないよな。
「絶対ダメ。歯止め利かなくなるの目に見えてんだろ」
「なんで……。もっと好きにしたっていいのに」
「勝手なやつ。いつも俺のことわがままって言うくせに」
「だって……僕は優しいところだけを好きになったわけじゃない」
 いつも意思の弱いそーちゃんは、弱さのままにお酒を飲まされた後、妙に頑固になることがあるから面倒だ。今だって、ずっとふにゃふにゃ喋ってたのに、真っ直ぐ俺の目を見据えている。こういう時のそーちゃんには、一切のごまかしがきかない。忘れられるからって流そうものなら、ぐずってわめいて手がつけられなくなる。――セイジツという言葉を覚えたのは、そーちゃんのおかげなのかもしれない。
「でも俺は、自分のこと嫌いになりたくないから、なるべく優しくしたい」
 俺もそーちゃんの目を真っ直ぐ見つめて真っ直ぐ返す。真っ向から真剣に話しかければ、酔ってるそーちゃんの耳にもちゃんと届くことを俺は知っている。
「そっか。難しいね……」
 そーちゃんは諦めたのか、長いまつげをふっと落とした。やっぱり寂しがらせたかな、とまた胸が痛み始めたのに、すぐさま明るい声が飛んでくる。
「でも、君が君のことを嫌になっても、僕が好きだからいいじゃない」
「呆れた。あんた、逆の立場だったら同じこと言えんの?」
 そーちゃんの手を捕まえたままの拳で、軽く頬を小突いてやる。そーちゃんの頬がぷくっと膨らんで、じゃれてるみたいに笑われる。
「言えるよ。いつもそうだよ」
 もそもそ、そーちゃんが身をよじって、俺の胸に小さな頭を寄せた。晒したままの肩が思ったより冷えていて、抱き締め返すというより温めるために、俺もそーちゃんの体を包み込んだ。
「君に会って、僕は僕のことが少し好きになった」
「本当に? あんなにケンカしてるのに?」
「君を怒らせてしまう自分は好きにはなれないけど……でも、自分にもちゃんと意見があって、ぶつかって、その上で一緒にいたいと思える相手ができるなんて」
 そーちゃんの声が次第にかすれる。背に回った手がこまかに震える。
「夢みたいな話だろ……」
 口数が増えてきたから酔いが醒めたのかと思ったけれど、完全回復には至ってないみたいだ。逆に言えばタイムリミットが近い。
「そーちゃん、まだ酒回ってんだろ。記憶なくなるんだろ、言っとけよ、全部」
 薄っぺらい肩をさすって、聞いてたよ、と手のひらから伝える。そーちゃんの腕の力が少しだけ抜けて、熱い息がほうっと吐かれる。
「環くんが好き」
「うん」
「ずっと一緒にいたい」
「うん」
「大人になっても、一緒にいて……」
「うん。お酒飲もーな」
 ずっと、なんて望む限り、そーちゃんが安心する日は永遠に来ない。そーちゃんもそれを分かっているから、時々自分が歩いてきた道も歩いていく道も、忘れたくなる日があるのかもしれない。俺にその気持ちは分からなくてよかった。俺も忘れたくなっちゃったら、本当に誰がそーちゃんの相手をするんだ。
「いるよ。だいじょうぶ」
 そーちゃんがお酒を飲まなくても平気になる日が来るまで、ずっと。