031 お墓参り

 節約がてら二駅分の夜道を歩いている途中、住宅地を抜けかけたところで、この通りが寺院の裏側に続いていたことを思い出した。
「環くん、あっちから回って行こうか」
「え、寄るとこでもあんの?」
 環くんの怖がりには出会った頃から手を焼いていたけれど、そもそもわざわざ手を焼くからかえって時間がかかるのだとそのうち気付いた。例えば偶数日の宿泊は電気を消そうと交渉するより、さっさと布団を頭までかぶってしまったほうが早いということだ。最近はそんな調子で行動していたから、この提案をする時も、特別考え込んだりはしなかった。
「ないなら遠回りすることねーだろ。それとも通りたくない理由でもあんの?」
「ああ、うん。そんなところ」
「なに、なんかあんならちゃんと言ってよ」
 環くんには言わないほうがいいかなとなるべく手短に用件を伝えたのに、なかなか呑み込んでもらえない。環くんだって普段はしょっちゅう説明不足のくせに。
「単刀直入に言うと、この先、墓地があるんだ」
「ほー。だから?」
「だから、って……ええと、君がいいならいいんだけど……」
「うん。いーよ。さっさと行こ。そーちゃんも疲れてんだろ」
 なぜか肩に掛けていたボストンバッグまで奪って、環くんはスタスタと歩き出した。荷物は自分で持つからいいって、帰りがけに一度断ったのに。
 お寺は小高い丘を越える途中にあって、アスファルトの坂道を上る時は、仕事を終えた後だからかさすがに息が切れた。高い塀や門のない開放的な敷地の中に、継ぎ接ぎのように墓石の外柵が並んで、鈍行列車の車輪の音と、時折瞬く家々の灯りを見下ろしながら、頭上に細い月を戴いていた。
 突き当たった大通りの交差点でようやく肩が並んだ。持たせていたバッグの持ち手を軽く引っ張ると、坂を上り終えたからだろうか、案外あっさり手渡してくれた。背負う位置を調節している間に、環くんがおもむろに口を開く。
「もしかしてさ、俺が怖がると思ってた?」
「ご、ごめん。余計なお世話だったみたいだね」
「余計っていうか……お墓にお化けは出ねえよ、そーちゃん」
 意外さと、やっぱりお化けは怖いんだなって微笑ましさが同時に湧いて、しばらく環くんの顔を見つめてしまった。そのうち信号が青に変わって、きょとんとしたままの二人を急かす。
「理由、聞いてもいいかな」
 互いに肉親を亡くしているからだろうか、死者の話はいつも慎重になってしまう。見上げた環くんの視線はたぶん、横断歩道の端に落とされている。
「お化けって、恨みがあるから出てくんだろ。だから怖ぇの。でもお墓の人はさ、時々家族が会いにきてくれんじゃん。だから出る必要ねえっつーか……」
 あ、でも、と言葉を切られた。気を遣わせたんだろうか。
「つーか、んーと、それに俺、おふくろのお化けに会ったことねえもん。だから、上手く言えねえけど、お墓はヘーキなの」
 コツコツ、寮まで直線距離の路地に二人の足音だけが響く。車を避けるために一列になると、環くんがその都度振り返って、僕の足取りを確認する。お母さんのお墓参りには行っているんだろうか。園にはお邪魔させてもらったけれど、過去にまつわる話を自ら訊く勇気はまだない。
「叔父の墓は……どこにあるか、一族以外に知っている人間はいないだろうな」
 妙な後ろめたさから逃れるために、自分の家族に思いを馳せた。叔父の葬式がおざなりにされることはなかったが、僕が家を出るまでに数度改葬を重ねたようで、音楽仲間にももう移転先は分からないんじゃないだろうか。
「スカウトされて以来顔を見せていないな。デビューできましたって報告しにいかなくちゃね」
「それ、俺も行ってもいい?」
「いいよ。今度改めて予定を立てようね」
 勘当されたといっても籍を抜けたわけではないし、場所は調べれば突き止められる。それより叔父の前に彼と立って上手く笑っていられるだろうか、声が震えたりはしないだろうか、慣れない緊張と恐れが足を取る。
 僕の歩みが遅れ出したことに気付いたのか、環くんはなんの断りも入れずに僕の手首を引いた。そのまま手をつなぐわけでもなく、兄弟にも恋人にも見えない格好で帰路をたどる。思えば僕たちは音楽を取り払ってしまえば家族でもないし、友人でもない。恋人だって世間に受け入れてもらえる手段もない。墓だって当然別々だ。星を見上げながらそんなどうしようもないことを、さしたる感傷もなく考えた。
「お墓参りって、喋っていいんだっけ」
「自由だと思うよ。どんなこと?」
「相方の四葉環ですって、よろしくお願いしますって、あ、あと、おじさんの歌好きですって言いたい」
 逆に言えば、音楽を続けている限り、MEZZO”でいる限り僕は環くんの「相方」なのだ。多くには認めてもらえそうにない二人を、自分たちの力だけで肯定する強さはまだ持てないけれど、彼の隣にい続けるために、その手段を教えてくれた神様に誓いを立てにいく。
 そうしたら、君のご家族にも挨拶がしたいと、真っ直ぐ口にできそうな気がする。