026 二十一時を歩く

 プルルル、プルルル、もう何十回この音を聞いただろう。そろそろ頭がおかしくなりそうだ。時計を見ると、タイムリミットまであと一時間を切るところだった。これ以上遅くなってしまったら、大人は俺を寮の外に出してくれない。
「……」
「あ、そーちゃん!?」
 プツッと呼び出し音が途切れて、スマホの向こうから街のざわめきが聞こえた。切られてしまうことがないよう、俺は必死で声を張り上げる。
「今どこ!? 駅前の居酒屋っつってたけどあんたっ……」
 途端、ガシャーン! と何かを叩きつけるような音が耳をつんざいた。何かって十中八九そーちゃんのスマホだ。最悪の事態に涙が出かけたけれど、続けて聞こえてきたのは、知らない男の声だった。
「もしもし、……あっ、君! こら!」
「やだ、離して!」
「待ちなさい、もしもし、ご友人の方ですか」
 後ろで叫んでいるのはそーちゃんだ。あいつ、普段人様に迷惑かけんなって口うるさく言うくせに、見も知らぬおっさん相手に特大の迷惑かけてんじゃねえよ。
「あ、相方です、えっと」
「〇〇駅西口の高架下です、すぐ来られそうですか」
「すいません、今行きますっ……」
 捕まえといてくださいと頼んで、言われた場所にダッシュした。今日の飲み会は最寄駅のすぐそばだって聞いていたからそれはよかったけれど、よかっただけに油断した。目的地には一〇分もしないうちに着いたけれど汗だくだ。
「そーちゃん!」
 駆け寄るとそーちゃんのスマホを握っているスーツのおっさんにもう一人、そーちゃんと同い年くらいの兄ちゃんが加勢して、二人がかりでそーちゃんの両腕を掴んでいた。そーちゃんは俺の姿を見つけると、逃げ出そうと思ったのかいっそう激しく暴れ出した。
「ばか!」
 ぱちんと両頬を挟むように打ってやると、そーちゃんは正気に戻ったみたいに静かになった。その隙に身柄を引き渡してもらい、がっちりホールドしてからお世話になった二人に頭を下げる。
「ほんとにすんませんした」
 おっさんたちは、本当にMEZZO”だったな、貴重な体験できたからいいよ、なんてニコニコしながらそれぞれ帰っていった。いい人たちでよかった。ユーカイされて、ヒトジチに取られて、ミノシロキン要求とかされたらどうすんだ。
「ったく……。そーちゃん、帰ろ」
 そーちゃんは大人しくはなったけれど、目はまだ虚ろで、酔いが覚めるにはまだまだかかりそうだ。間違っても走り出されたりなんかしないように、ほかほかの手をしっかり握った。歩き出してはくれたものの、その足はすぐに止まってしまう。さっきの暴れようからしても、寮に帰りたくないんだろうな。
「いつも寂しいって言うくせになんで帰らねえの」
 一応尋ねてはみたけれど、当たり前のように返事はない。顔を覗き込むと、嫌がられはしなかったものの、唇を固く結んでいて、到底話し出してくれそうにない。
「一人になりてえの?」
 うんと言われても困るなと思いつつ訊けば、そーちゃんはふるふると首を振った。
「……ちょっと歩こっか」
 寮の近所だからまだ少し余裕はある。そーちゃんも疲れてるだろうし、なるべく穏便に部屋へ帰してやりたい。寮への近道を避けつつさり気なく人気の少ない住宅地に入る。駅前の喧騒が次第に薄れて、二人の足音が夜空に響く。
 酔っぱらったそーちゃんの世話は相方の俺がするって、別にきちんと決めたわけじゃない。だけど、時々よく分からない行動をするから、いつも同じ奴が相手してたほうがいいとは思う。そのうち何か気付けるかもしれないとそばにいることを続けていたら、いつの間にか俺が迎えにいくのがお決まりになっていた。
 今日のはちょっとイレギュラーだったけれど、以前も失踪したことはあるから、案外身近な原因なのかも。もっと話してくれたらラクなんだけどなあ、溜め息をつきながら時々、そーちゃんの顔色を伺う。
「あんた、気にしいだし、我慢しいだから、またなんか溜め込んでんだろ」
 相変わらず口を閉ざしたそーちゃんは、地面を見つめたまま何も言わない。けれど最近は無言も肯定なんじゃないかって思えてきた。とりあえずはそういうことにしておいて、もう少し話しかけ続けてみる。
「俺たちとのこと?」
 そーちゃんはやっぱり首を振らない。もしそうなら寮に帰りたがらないのにも説明がつく。だからってどうすればいいのかはよく分からない。念のため一番の不安を確認する。
「……でも、俺とのことじゃねえんだ?」
 黙りこくったままのそーちゃんに、俺なら何ができるだろうと星を仰いだ。そーちゃんは困ったことがあった時、大抵ヤマさんには相談してる。相談できてないってことはヤマさんとのことなんだろうか。ヤマさんのことなんか俺にも分かんねえし、まずヘタすると地雷を踏むし、みっきーに相談してみようかな。
「めんどくせーな……」
 今日何度目かの溜め息が漏れた。人間関係ってこんなに大変なんだ。俺はずっと大勢で暮らしていたけれど、施設を出るまで考えたこともなかった。
 それがどんなに厄介なものだとしても、俺はそーちゃんとはいつも直通の場所にいたい。俺に関して何かあったら、誰のことも、ヤマさんさえも通さず俺のところに来てほしい。俺も、そーちゃんに何かあったら、真っ直ぐそーちゃんのところへ飛んでいきたい。どんなに遠くったっていい。どこまでも走っていく。
 早く大人になりたいな。まずは深夜でもホドーされない年齢にならなくちゃ、そーちゃんと同じ場所には行かれない。時計を見ると、リミットまであと十五分というところだった。そろそろ帰路につかないとまずい。
「そーちゃん、帰ろ。散歩は付き合ってやれねえけど、寮の中なら大丈夫だから。……一緒にいてやるから」
 な、と念を押すと、そーちゃんはやっと小さく頷いてくれた。胸を撫で下ろしながら、ごまかし切れない悔しさに唇を噛む。――早く大人になりたい。
 そしたらもっと、そーちゃんのわがままを、いつも近くで聞いてやれる。