018 髪

 施設に入って間もない頃、俺と理はいつもぴったりくっついていた。夜眠る時はさすがに引き離されたけど、遊ぶ時も昼寝の時も、そうするって決めていたわけでもないのに隣にいた。それでも理は時々寂しがった。かあちゃ、かあちゃと声を上げ出したら、どんなおもちゃを与えても、園で一番優しい先生があやしても、力尽きるまで泣き続けた。
 誰がどんなに抱き締めてもダメだったのに、ある時小さな手が俺の頬に伸びたと思ったら、髪を握るなりほっとしたように眠りに落ちた。耳や首が寒いから切らないでと、わがままを言って伸ばし放題にしていた冬の日のことだ。
 かあちゃ、と幸せそうにつぶやいた理の顔が今も忘れられない。
「……あれ」
 目を開けると真っ暗で、というより俺は寝ていたようで、自分が今どこにいるのか確かめるのに時間がかかった。目の前にはそーちゃんがいて、俺はいつもどおり時々襲う寂しさに任せてそーちゃんのベッドに潜り込んだことを思い出した。
 不思議なのはそーちゃんも目を開けていることだ。久しぶりに理の夢を見て、寝言でうるさくしたんだろうか。何から言おうか迷っていたら、いつの間にかそーちゃんの腕が俺の頭の後ろにあって、何かをほどくように動いた後、そっと俺の髪を梳いた。
「ごめん……頭の位置が決まらないみたいで、もぞもぞしてたから、ゴムが邪魔なんじゃないかと思って」
 かえって起こしてしまってごめんね、とそーちゃんはもう一度謝った。そーちゃんが起きちゃったのは、俺がもぞもぞしてたからか。俺もごめん、と俯くと、おでことおでこがぶつかった。
「ゴム、僕の腕に通しておくね」
「でも、寝癖……」
「明日の朝はゆっくりできるから、少しくらいかまわないよ」
「そっか。じゃあ、ついてたら直して」
「いいよ。分かった」
 めずらしく適当でいいと言ったそーちゃんに、なんだか胸がほっと緩んだ。けれど意識は冴えてしまって、二人で顔を見合わせたまま、なんとなく会話を探してしまう。そういう時のそーちゃんはなぜか、頑張って俺のことを褒め出す。
「今日の髪型も似合ってたよ」
「そお?」
 そーちゃんはどんな俺の見た目も褒めてくれるけれど、そう分かっていても悪い気はしない。またやろうかな、って楽しみが増えるし、実際にまたやる時は、また褒めてくれるかなってわくわくする。
「長いといいね、アレンジを楽しめて」
「俺よりそーちゃんのが楽しんでんだろ」
「そうかな」
「でもあんがと」
 お礼を言うとそーちゃんは笑って、俺の髪をまた優しく撫でた。そーちゃんにはきっと、親や兄弟の髪を掴んで、寂しさを癒した夜なんかないだろう。
「短くしていたことはないの?」
「覚えてるうちではないかも。いつもこんくらい」
「どうして?」
 どうして、と尋ねられて思い返す。あれから俺は髪を耳より短くしたことはなかった。理と離れてしまった後、俺の髪なんかもう誰の役にも立たなかったのに。
「……また今度話す。ねみー」
「ふふ。じゃあ、今度ね」
「そーちゃん、もうちょっとこっち来て。もっかい手ぇ貸して」
「撫でていてほしいの?」
「ううん。違う。しなくていい。でもこうしてて」
 近づきすぎて置き場に困った俺の腕をそーちゃんの首の下に通して、その腕と反対側のそーちゃんの腕を引っ張り、指先がちょうど首元に触れるような形に整えた。俺はそーちゃんの短い髪を掴んだりはしないけれど、ぬいぐるみを抱くように薄い背に手を伸ばしたら、分かっていたとおりに安心できた。
 今度ね、と言われても、髪を伸ばしていた理由を上手く説明できる自信がない。言えるのは、あの時俺の髪を握った理の顔を、今も忘れらないということだけ。