016 朝

 そーちゃんと買い出しをする時は、冷たいお菓子のコーナーに近づいてきたのを見計らって、そーちゃんの二、三歩後ろへ下がる。そーちゃんがそこを通り過ぎてから目的のブツをそっと取って、隙を見て葉っぱの野菜の下に滑り込ませるのがコツだ。
 ただし、今日のカゴにはお惣菜くらいしか入ってない。田舎でのお仕事で寮に帰れないのだから当たり前だ。どーしたもんかな、と首をひねっていたら、急にそーちゃんが声を上げた。
「環くん、王様プリン食べるよね」
 こっちを見もせず、ひょいひょい、っと。俺があんまり悩んでたせいでそーちゃんの手が勝手に動いたのかと思った。びっくりして返事をできずにいると、そーちゃんが、ん? とこちらを伺ってきた。
「あ、えっと。食べます」
「うん」
 そーちゃんは一つ相づちを打ってまた前を向いた。何かあったな。何かあるなあ。顔を見たってどうせ分かんないんだけど、背中しか見られないのをもどかしく感じながら結局、宿へ戻ってきてしまった。
 でも、謎は案外早く解けた。ごはんと王様プリンをしっかり食べて、お風呂と歯磨きを済ませて、目覚ましをセットする時に、そーちゃんのほうから話し出したから。
「明日は五時半起床でいいかな」
「別にいーよ。後でもっかい起こしてくれれば」
「そうじゃなくて。君も起きるんだよ」
「たぶん目は覚めっけど別に……、えっ」
 まさかあ、と思ったけど、そーちゃんは真面目な顔をしていた。
「俺も起きんの」
「だからそう言ってるだろ」
「ヤダ。朝ごはんの時間、七時とかだったじゃん」
「その前に付き合ってほしい場所があるんだ。……だめかな」
 だめか、と訊かれると、だめ、とは言えない。ヤダ、ならいくらでも言えるのに。うー、と唸り声がひとりでに漏れた時、ふと気づく。あー、このための王様プリンだったのか。
 なのにそーちゃんは「プリン買ってあげただろ」とは言わない。ただ黙って俺の返事を待っている。今度は、はー、と溜め息がひとりでに漏れる。そーちゃんのこういうところがずるい。
「いーよ」
「本当かい?」
「ほんと。だからもう寝る」
「ありがとう。嬉しいな」
 言葉通り嬉しそうなそーちゃんの顔を直視するのが気恥ずかしくて、俺はさっさと毛布をかぶった。慣れない畳の上だから、寝ている間にそーちゃんを蹴っ飛ばさないようにって離して敷いた布団を、そーちゃんがわざわざずりずりと寄せてくる。俺はとっくに背中を向けていたので文句は言わなかったけれど、本当にこういうところがずるいと思う。
「おやすみ」
 電気を消す前にふわ、と髪を撫でられてそう一言。もう寝坊するわけにいかないじゃんな。
 そーちゃんが結局ぐずった俺をたたき起こして連れてきたのは、昨日のロケで行った港の端の、海に向かってせり出したコンクリートの足場の上だった。そーちゃんがあんまり端のほうへ行くから、風が吹くたび落っこちちゃうんじゃないかって少し心配になる。
「春といってもやっぱり寒いね」
「んなこと分かってたじゃん……。ねえ、ここで何があんの」
「何って、何もないよ。マネージャーが言ってただろう。港から日の出が見えるって」
「へっ」
 ほら、とそーちゃんが俺の手を取る。それとは反対の手で水平線を指さす。
 彼方に横たわる重たい雲のてっぺんが輝きだして、散らばったはぐれぐもに火を灯しながら、ゆらめく水面に金色の道をすっと引いた。
「すげえ。まぶしい」
「あんまり長い時間見ていたらだめだよ」
「見にきたのに見ちゃだめなのかよ。わけ分かんねえ」
「はは。そうかもね」
 そーちゃんもまぶしくなったのか、俺のほうを振り向いた。
「こっち向いて」
 ぴと、と頬に触れた細い指は冷たくなかった。重ねられた唇も。
 あっけにとられている間に、そーちゃんはすぐ離れてしまう。ふいと顔を逸らされる瞬間、伏せられたまつげのまたたきさえ、ゆっくりと目に焼き付くのに。
「ねえ、環くん。花道みたいだよね」
 光にうぶげの一つまで照らされたそーちゃんの横顔をじっと見る。その向こうにある景色は確かにそーちゃんが言う通り、そう思えるのだけれど。
「……うん」
 この道を歩いてきたのかな。それとも、これから歩いていくのかな。
 そーちゃんはどう思う? そんなささいなことがいつも訊けない。
「ね」
 でも、そーちゃんが満足そうに笑って、俺の指先をきゅっと握る。そんな小さな仕草をたよりにして、俺はここまで歩いてきた。
「そーちゃん」
「うん?」
「昨日、プリンありがと」
 金色の道を見つめたままのそーちゃんの返事は、波の音にまぎれて消えてしまった。けれど俺は聞き返すことはせずに、そーちゃんの指先のこまやかな震えをひたすらにたどる。
 朝も悪くないなって言ったらどんな顔をするかなあ、そんな新しい疑問に、胸の奥をひとり揺らしながら。