013 真白き光に包まれるように

「すげー、どこ見ても真っ白」
「うわっ……、ちょっと」
 環くんが振り向いた拍子にリフトがぐわんと傾く。小突くと眉を寄せながらも姿勢を正してくれた。谷側の景色なんか下る時に見られるんだから、大人しくしていてほしい。
「そーちゃん、こういう乗り物ニガテ?」
「そういうわけじゃない。ただ、僕たちのせいで停まりでもしたら申し訳ないだろ」
 仕事で来ているんだから――そんな小言は、今日はもうこぼさない。スキーウェアの広告の撮影は、天候にも恵まれ無事に終わった。中途半端に時間が余ったので、環くんの希望で、一周だけリフトに乗せてもらうことにしたのだ。スケジュールに余裕があれば、滑り方を教えてあげたかったのだけど。
 リフトは僕たちを運びながらゆらゆらと揺れる。空は見渡す限り青く冴えているけれど、吹きつける風が少し痛い。
「ねえ、なんで晴れてんのに雪降ってんの」
「ああ……山頂で降っている雪が飛んできているんじゃないかな」
「ふーん」
 僕の答えが気に入らなかったんだろうか、それともさっきたしなめたのが面白くなかったのか。そうだと言われても今さらフォローの言葉なんて思いつかないけれど。ともかく環くんは今朝、ゲレンデに着くなり雪だ雪だと大はしゃぎしていたのに、今は黙りこくったまま、頬に風花を散らしている。
「あ、まつげ……」
「なに、そーちゃん」
「いや、ええと。まつげに雪が」
「おー」
 ぱちぱち、と瞬きすると、小さな結晶がじわりと消えた。
「そーちゃん、目ぇ痛い」
「林のほうを見ているといいよ」
「ん」
 撮影で使ったゴーグルは顔の形に合わなくて、二人とも早々に外してしまった。しかしこうも晴れているとさすがにダメージが大きい。サングラスを持ってくればよかったかな。そう反省しつつも、それを掛けた環くんが転げまわって真っ白になる様を想像したら、可愛くって笑みが漏れてしまった。
 今の見られてないかな、と環くんの横顔を盗み見ると、僕がアドバイスした通り雪化粧の木々を眺めている。
「きれいだね」
「おー。……なんか、思ったより簡単なことだったのかもな」
「え、何が――」
「あっ、そーちゃん」
 環くんが急に声を上げるなり僕の手を取る。前方に引っ張られるがまま腰が浮いて、いつの間にかリフトから降ろされていた。
 ふもとまで乗せていってもらう予定だったじゃないか――叱るより先に、慣れないブーツのせいで足がもつれ、その場に真正面からうつ伏してしまった。ブザーが鳴りリフトが停まったことに気づく。もたついていたら環くんに両脇を掴まれ、あっという間に安全な場所まで引きずられた。
「あっぶねーな……」
「あ、危ないのは君だろ! どうするんだ、滑り降りられるわけでもないのに……」
「ふつーにリフトに乗せてもらえばいいじゃん」
「それはそうだけど……」
 恥ずかしさから自分の失態を棚に上げ怒鳴ってしまった。しかし後悔している場合じゃない、待っているスタッフさんたちに心配をかけるかもしれないし、念のため連絡をしておかなければ。座り込んだまま、やたらと数の多いポケットを慌てて探っていたら、環くんが既に電話を掛けていた。
「もしもし。……はい。うん、そう」
「あ、謝っておいて……」
「えーと。そうです。……ゴメンナサイ。ねえ、ちょっと上、歩いてきてもいい?」
「は!?」
 とんでもない発言に携帯電話を奪い取ったが、通話は終了していた。幸か不幸か、いや不幸だ、話が早すぎる。
「なに勝手なことを……!」
「えー、でも、いいってよ。片付け、もうちょいかかるしって」
「だからって……」
「いーじゃん。そーちゃんと雪の上、歩きたい」
 いつも僕が見下ろされてばかりいるぶん、上目遣いで顔を覗き込まれると弱い。いいとも駄目だとも言えないでいると、先に立ち上がった環くんが右手を差し出したので、僕はそれを取るしかなかった。
 そのままグローブ越しに手をつないだ。
「他のお客さんもいるんだけど」
「また転んだら困るから」
 困るだろうか? 理由に疑問を感じなくもないが、何となく反論できなかった。環くんはリフトの降り場を左折した先にある売店へと向かっていく。本当に「ちょっと」のつもりなんだな、と思った。
 相変わらず青天から乾いた雪が吹き付けてくる。僕と歩きたいと言っていた割に、環くんは山を見上げている。雪遊びをしたいと言われたらそれこそ困るなと思っていたのだけれど、そんな気配も全くない。
「……さっきの、どういう意味だい」
「なにが」
「思ったより簡単なこと、って」
「あー……」
 環くんが真面目な顔で僕を見る。らしくないと言ったら怒られるかもしれない。でもそのくらい、緊張した。触れている指に力が入りそうになるのを我慢する。
「そーちゃんってさ、俺のこと、好きなんだよな」
「……どうして」
 何か不安にさせるようなことをしていただろうか。もしかして、立て続けに怒ったからか。けれど間違ったことを言ったとは思っていないし。かといって気軽に「好きだよ」とも返せなくて口ごもってしまった自分が自分で嫌になって、つい俯いてしまう。これじゃあきっと悪循環だ。
「あ、そんな顔すんなよ。やな話じゃねえし」
 さくさく、なだらかな斜面を下っていく。環くんの足取りは重くはない。だけど僕が足を取られない程度にはゆっくりだ。注意深くコースを横切り、売店前の平らな広場に着くと、環くんが立ち止まったので、僕もそれに従った。
「自分の好きな人が自分のこと好きって、なんか、すげーことだと思ってた」
 環くんが笑ったのと、言ってることが何となく理解できるのとで、少しほっとして素直に頷いた。環くんは嬉しそうに鼻をこすって、つないだままの手をそっと握り返す。
「めったにない、奇跡みたいな気がしたんだよな。だから、いつか自然に消えてっちゃうもんだと思ってて、一緒にいてもなんか、怖くて」
「うん、……そうだね。分かるかも」
「だよな。でも、違うんだぜ。俺は分かった」
 環くんが得意げに目を細める。山側に立っていてくれているおかげで、凍てつくような風が勢いを強めても、僕は動じずにその表情を見つめ返すことができていた。
「ガキん時、雪ってめずらしくなかった?」
「君は今でもめずらしがっているよね」
「茶化すとこじゃねえから。でも、そーいうこと」
 首を傾げたらきっとすぐに種明かしをしてくれる。そういうところが、安心する。
「冬に山行けばフツーに降ってんじゃんな、雪」
「それと、僕が君を好きなことが、関係ある?」
「あるよ。おーあり」
 戻ろうぜ、と環くんがきびすを返す。すっかり力の抜けていた手から環くんのそれが離れて、一瞬だけ置いてけぼりになった。
「そーちゃん、どした」
「あ、ごめん――」
 振り向いた環くんが照り返しを遮って、唇に落ちた氷を解かす。
「やっぱちょっとまぶしかったな」
 吐息混じりに笑われたのもつかの間、熱が離れるなり強風に足元がよろめいた。陽は絶えず明るくて、広い背をまともに見られない。
 そうだね。分かるよ。ずっと前から分かっていた。冷たい雨が六つの花に変わるように、君を好きになったこと。