009 アネモネ

 君を好きになって、特別に変わったことがあるかといえばそうでもない。相変わらず微睡むことは苦手だし、誰よりも早く起きることに慣れないし、洗面所で鉢合わせるのも得意じゃない。量の少ない朝食にダメ出しされることが増えたけれど僕にはこれが普通だし、また痩せたと指摘されるたび重く感じるのは、その言葉よりも君の視線だ。
 だけど君を好きになって、やっぱり少しは変わりたい。眠った君の頭を撫でる時間は、幸せの傍らで寂しさが燻る。
「そー……ちゃん」
 寝言かと思ったら違った。薄紫の毛布が波打って、花びらのような唇が繰り返し呼ぶ。
「そーちゃん……眠れないの」
「もうすぐ寝るよ」
「いつもそう言うよな……」
 いつもと言うほど同じ布団に入ったことはあったかな。数えていたわけでもない過去に思いを馳せて、結局微笑むしかできなくなる。君のことなんか触っていないで、本でも読めばよかったな。
「今日はもう眠い……?」
 そう尋ねる瞳のほうが眠そうで、どちらの答えが正解なのか、迷って言葉に詰まってしまう。正直なところを伝えればいいのに、君の意図するところを探す癖、そういう自分はあまり好きじゃない。
「もう少し……なでてて」
 だから、願いや望みをためらいなく口にする、君のわがままに助けられている。いいよと笑ってそれを叶える、今の自分は嫌いじゃない。
「俺さ……なでるほうが得意。理がいたから……」
 君が独り言のようにつぶやきながら目を閉じる。思いのほか長いまつ毛に親指を這わすと、くすぐったそうに瞼が震えた。まだ眠らないで、と指先で伝える。話の続きは今晩聞きたい。
「ひとりっ子だったなら、なでるのも……なでられるのも、たぶん、きもちいいだろ」
「そうかな。僕は、あんまり」
「落ち着かないって言うんだろ……」
 でもさ、と君の、淡い色の頬が持ち上がる。
「俺がなでたら、よく寝れると思う。うまいし……今度、してやるよ」
「今日はもうだめそうだね」
「ん……そーちゃん、もう少し起きてて」
 あふ、と大きく開いた口に反射して、つむられた目尻をしずくが滑る。
「あと少しだよ」
「うん……俺が寝てから寝て……それで、いつもよりちょっとだけ……」
 会話は途切れて、すー、と吐息が安らかさを帯びる。僕はただ撫で続けているだけだったのに、君がうんうんと嬉しそうに頷いていたから、君の意思の弱さを憎むのは一瞬だけにしてあげた。かための髪を梳いてのばすと、んん、と身じろいでうつ伏せになった君が、ぽかとまた口を開けて、頬を枕代わりのタオルにうずめた。子供みたい、という表現も、最近はあんまり面白くない。
 君を好きになって、特別に変わったことがあるかといえばそうでもない。おもむろに君の腕を引いて、抱かれるように僕の肩へと載せる。君よりひと回り小さい自分も、あまり見られたくないと思ったままだ。
 だけど君を好きになって、やっぱり少しは変わりたい。力尽きるような眠り方しか知らなかった自分が、人を撫でることを覚えたように。暖かな毛布の中で、君の夢を見始めたように。
 誰かと共に目覚め、並んで歯を磨きながら、何が食べたいかを話して決めて、同じ食卓で笑い合う、ささやかな憧れを打ち明けられる、そんな願いを抱いたように。