一日二行のラブレター

#リプもらった番号のワードを使って文を書く 22.サブリエ(庭 日記 散る)より

 昔からコツコツ努力することは得意だったけれど、それでも上手くいかなかったことの一つに「日記をつけること」がある。やめてしまってからしばらくは後ろめたさがあったけれど、もともと向いていなかったのだろう、それもそのうち忘れた。
「そーちゃあん、明日ってアンケートとかあったっけ?」
 トントントン、とカレールーを細かく刻んでいたら、環くんが階段の踊り場から僕を呼んだ。
「先週受け取ったんじゃないかな……? 手帳に書いてあるから、確認してくれるかい」
「ほーい」
 みんなよりちょっと大きな足音が、僕の部屋の方角に戻っていく。明日の準備は、夕食の支度を終えてからでも問題ないけれど、環くんに先を越されるなんて、油断していた。アンケートはこれからやるのだとしても、少しずつ成長しているのは確かで、笑みがこぼれた。
 ルーを溶かして、鍋をひと混ぜして、火加減を弱火に落とす。炊飯の準備に取り掛かろうとしたら、部屋に戻ったはずの環くんが、僕の鞄を持ってリビングにいた。
「手帳、入ってなかった?」
「んーん。ちゃんとあった」
「分からないことがあったの?」
「んー。あったら聞く」
 環くんはきちんと答えてくれているのだけど、僕が感じた疑問は晴れない。
「二階、誰もいないと寂しい?」
「は? 別に、慣れてる」
「カレーの匂いが好き、とか?」
「いや、時すでに遅し」
「……部屋で休んでいてもいいんだよ?」
 環くんが返答するまで、しばらくの沈黙があった時、次に返ってくる言葉は、噛み合っていることが多い。環くんが、僕が困っているのに気付いて、僕の質問を、ゆっくり噛み砕こうとしてくれるからだ。
 そんな環くんの振る舞いが、大人だなあと思うし、そう判るようになった自分にも、少しだけ進歩を感じて、くすぐったくなる。
「なんか、……予定だけじゃなくてさ。色々書いてあったから、そーちゃんがいないとこで読むの、ダメだろ」
「ダメだったら、確認してなんて言わないよ。もちろん、誰にでも見せられるわけじゃないけど」
「でも、なんか、ダメなの。……なー、これって、誰の話?」
 そう言って真面目な顔で示されたのは、ウィークリー欄の昨日の日付の、僕の走り書きだ。
『大笑いしてくれて、嬉しかった』
 環くんの頬は、少しふくれているようにも見えた。さっきまで僕を気遣ってくれていた一人の大人だったのに、今は自分の知らない秘密を発見して、拗ねてしまった子供みたいだ。
「これはね、……日記というほど大層なものじゃないんだけど」
「なぁ、誰?」
「誰って、君の話だよ。タライでプリンを作ったらプリンの海に入れるんじゃないかなって、そう話したら大笑いしたの、君じゃないか」
 自分のこととは知らずに持ってこられたとはいえ、一人でパラパラめくられるには、気まずい代物だったかもしれない。
『背が伸びたみたい。……って、まだ誰も気付いていないのかな』
『どんなふうに褒められていたのか、早く教えてあげたい!』
『疲れていたとはいえ、寝顔を見られちゃって、恥ずかしかったな』
 誰のこととは書いていないけれど、面と向かって伝えられなかった気持ちが、たくさん書いてあるのに気付いてしまった。
「でも、意外」
「……どうして?」
「そーちゃん、ちゃんと〝ニッキチョー〟につけてるタイプかと思ってた」
 環くんにとっての「日記」は、「三日坊主」の代表みたいなものなんだろう。夏休みの宿題も苦戦したんだろうななんて、ふと思って笑いを噛み殺す。
「そんなことないよ。僕も苦手なんだ」
「なんで?」
「悲しいことがあった時、書くか、なかったことにするか、決めなくちゃならないだろ」
 日記は小学生になった頃から、父の勧めで書き始めた。誕生日のプレゼントに、立派な日記帳をもらったこともある。
 書いたり、なかったことにしたり、自分のさせられていることに時たま疑問を抱きながらも、中学生の半ばまでは毎日書いた。書き続けられなくなったのは、叔父の葬式の日の夜だ。
 書けなかった。だけど書かずにページを埋めることもできなかった。そしてようやく、自分がしてきたことは、自分にとって無意味だったと悟った。自分の私物を捨てても怒られない場所が、家の敷地以外に思いつかなくて、庭である限りの日記帳を破いた。
 埋める手間が面倒で、全部池の底に隠した。ひらひら散っていく紙切れは、どれも本当の僕じゃないから、惜しくなかった。弔いの代わりに、叔父さんの歌を歌った。歌があれば、覚えていたいほどの過去なんて、すぐに思い出せた。
「そーちゃんにも、ガマンできないことなんてあんだ」
「あるよ。本当は、今も『日記帳』というものが、あまり得意じゃないんだと思う」
 このまま幸せな日々が続いたとしても、いつかそれが途切れる日を思うと、分厚く閉じられたあの紙の束を、未来の自分のために用意する気が起こらない。
「でも、アイドルになって、毎日悲しいなんて思う暇もなかったから……いつの間にか、こんなところに書いちゃってたんだね」
「これ、俺も読んでいい?」
「いいよ。やましいことは書いてないと思うから……」
「いやこの『王様プリンミニ』? なんか換算しようとしてっけど何?」
「あ、いやこれはね」
「減らそうったってそうはいかねーぞ!」
 ああ、カレーの鍋がぐつぐつ言ってる。今日はね、遅かったって言われてしまったけど、君でもおいしく食べられるように、甘口ソースを用意したんだよ。上手くいったら、今日のページにレシピをメモしておかなくちゃ。