幸せの作法

 二人きりの甘い時間を、仕事の話でさえぎったりとか。皆で団らんしてる時、目が合うとふいっとそらしたりとか。
 急にココロの距離を置かれることがある。でも、楽屋でひっそりキスをしたり、夜道でこっそり手をつないだり、そういう悪さを何度かしても拒まれたことはないから、一応嫌がられてるわけじゃない……はず。
「でも、俺だって不安になるんだよなー」
「どうして急にそんなっ……幸せだよ!」
 ぽつりとつぶやいたら、食ってかかられた。びっくりして、隣を歩いているそーちゃんを見下ろしたら、そーちゃんも自分でびっくりしたみたいで、大きな目をまんまるにしてた。
 今日も楽屋でキスして、大通りから外れた辺りで手をつないだ。刺激的なものが大好きなそーちゃんは、恋もスリル満点なほうがイイのかと思っていたけど、付き合い始めてみるとそうじゃなかった。むしろ恋だけ、特別みたいだ。〝昨日も〟〝今日も〟同じ手順を踏んでやると、〝昨日は〟緊張していた体が、〝今日は〟少しずつ緩んでいく。
 仕事じゃなくても準備を重んじる人だから、最初はキンチョーしてるだけかなって思ってた。そーちゃんのペースでできないことが、どうにも苦手なんかなって。
 でも、なんか、違うみたい。
「俺まだなんも言ってないんだけど」
「だって、君が寂しいことを言うから」
「幸せじゃないって思ったことがあんの?」
「そんなこと言ってないだろ……!」
 そーちゃんは必死に否定するけど、泣きそうな目が、「心当たりあります」って言ってる。嘘つこうとしてるのは見逃してやれないけど、だまされたわけじゃないから、許してもいい。
 立ち止まって、試すようにそーちゃんを抱きしめてみると、思ったとおり背中を丸めて逃げようとした。泣きそうな時、抱きしめてやったらフツーは安心するのに、そーちゃんのフツーはフツーじゃない。
「あのね、夜道でも外でこういうことは」
「じゃあ部屋ならいい?」
「そういう話をしていたわけじゃ……」
「今日フロ入ったら行くから。起きてて」
 それだけ宣言して手をつなぎ直すと、ウンともウウンとも言えないそーちゃんが、薄い唇をきゅっと噛む。それを見て、俺の胸は、噛まれたみたいにきゅっと痛む。
 そーちゃんとはまだ、キス以上のところへ進めていない。それはいい。急ぎたくない。でも、毎晩フロで自分の体を見るたびに思う。この腕も胸も、大好きな人のこと、抱きしめるためにあるんじゃなかったのかな。
「……みてーなこと、俺が毎日考えてんの気持ち悪くね?」
「別に気持ち悪くは……」
「や、気色悪いとかじゃなくて、俺らしくねーなって言いたいの」
 そーちゃんのこと待つつもりで、毎晩考えて考えて考えるだけで、ずっとずっと俺らしくなくて、そのうち本当に俺じゃないモノになりそう。
「何待てばいーのか教えて」
「何って、何も」
「なんかあんだろ。教えてくれたらちゃんと待つから、お願い」
「お願いされても……」
 いつもみたいに口うるさく、そうじゃない、こうしてほしい、って言わずにもごもごしてるのは、言いたいけれど言えないことが、ちゃんとそーちゃんの中にある証拠だ。短気な俺が、寝るまでの間くらい待てるようになったのは、そーちゃんが俺の前で、ごまかすのがちょっとだけ下手くそになってくれたから。
 
 行くって予告していても、部屋の扉を叩く時はキンチョーする。逆に言えば、キンチョーしてる時くらいしか、ノックしなきゃってことに気付かないんだけど。
「……あのね」
 扉を開けるなりすぐそこにいたそーちゃんは、鍵を締める前にそーちゃんのほうから、俺の手をぎゅっと握ってくれた。待っててくれたんだ。話したいと思ってくれた。それだけで嬉しくて飛びつきたかったけれど、簡単に引っ込んでしまうそーちゃんの言葉まで潰したくはないから、気持ちを抑えるつもりで唾を何度も呑んだ。
「僕も分かっていないのかもしれないけど、聞いてくれる?」
 きちんと整えられているベッドに二人で浅く腰掛けて、自分の気持ちを「大丈夫」と「それ以外」に分けなくなったそーちゃんが、こんがらがった心の先っぽを渡してくれるのをじっと待つ。
「君とお付き合いを始めて、ね」
「うん」
「君と一緒にいられるのが、幸せで」
「……うん」
「今までどおり、皆でいる時も」
「うん」
「その中に僕と君がいるのが、幸せで……」
「……うん」
 きっとまだまだ続きがあるんだろうけど、打ち明けられたところまでは、分かってきた。俺にもある。七人で好きにしゃべって笑いあっている時、その中にこれまでと同じように俺とそーちゃんがいて、だけど俺とそーちゃんだけは今までとは違っていて、だけどやっぱり今までと同じようにいられることーー上手く言えないけれど、皆と一緒にいるそーちゃんを見るたび、おまじないをかけられたみたいにきゅんとする。
 といっても結局それはいつも、目が合ったそーちゃんにそっぽを向かれるたび、ふっと途切れてしまうのだけど。
「でもね……。幸せなことばかり続くわけがない、と思うことがある」
 今夜は、おまじないの邪魔をするおばけを突き止めて、二人で追い払う方法を考えなくちゃいけないんだ。そう気付いたら、胸の底に沈むよどんだモノが、すっと晴れてどこかに消えた。笑い飛ばしたり慰めたりするんじゃなくて、真正面からちゃんと、悩んでいることを聞いてやるんだ。意気込んで両手をぎゅっと握り返したら、無意識に身を乗り出してしまって、そーちゃんが大きな目をまばたかせて俺を見た。
「悪いことが起こるかも、って思うの?」
「とは、少し、違うかも……。嫌な出来事は、前より怖くなくなった」
「じゃあ、罪悪感、みたいな感じ?」
「……そう見えるのかな」
「見えるとは言ってねーじゃん。違ったら違うって言って」
 ごめん、とそーちゃんは少しだけ笑って、違うよ、と指に力を込めてくれる。
「どう、思ってるのかは……ごめんね。正直、分からない。でも、悲しいことも、ないと、不安になる」
「……それは……」
 言いたくないな、続きを。でも、一緒に悩んでやるって決めたから、言わなくちゃ。
「悲しいことがあると、かえって安心する、ってこと?」
 そーちゃんが叩かれるのを待つ子供みたいに、ぎゅうっと強く目をつむった。俺も、言っててちょっと心が削れた。でも、違うとも分からないとも言われないってことは、そーちゃんの中では、確かなことなんだ。
「……そーちゃん、怒らないから。どうしたらいいか、一緒に考えよ」
 真っ向から抱きしめて撫でてやれるような関係には、まだ早い。お尻を横に並べたままの格好で、そーちゃん側の自分の肩を、トントンと叩いて指し示す。そーちゃんの体がギクッと跳ねたけれど、黙ってそのまま待っていたら、そーちゃんはおずおずとうつむいて、おでこをそこに預けてくれた。
「悲しい気持ちを混ぜて、バランスを取ろうとするのは、いけないことなのかな」
「悪い、って決めつけたりは、したくねーけど。でもそれは、俺が悲しい」
 言葉を呑み込んだそーちゃんは、ごめんって返すのを我慢したんだろう。俺もそーちゃんを責めたくない。分かってほしいけど、傷つけたくない。
「つーか、なんで悲しいことと幸せなことに分けんの」
「なんでって、他に何かある?」
「なんつーか……」
 俺だって、幸せが大得意ってわけじゃない。襲いかかってくるような喜びが続いて、ふと立ち止まって後ろを見てしまうこと、離れ離れになった大事な人を、置き去りにしてるような気持ちになること、分からないわけじゃない。そーちゃんの気持ちも、ちょっとは分かると思ってた。ーーでも。
「悲しいのにも、全部ぶっ壊したくなるみたいな悲しさと、もう何もしたくねーみたいな悲しさがあんじゃん。……幸せなことも、そうじゃねえの?」
 もう顔を上げてしまったそーちゃんが、俺を見つめて泣きそうな目をしてる。言葉を途切れさせたくない。迷わせたくない。上手く説明できているのかな。
「ウルトラサイコーな気分でなんでもできちゃいそうな幸せもあるけど、のんびりじんわり、ずっとこのままでいたいみたいな幸せもあんじゃん。爆発しそうなくらい幸せだったら、ゆっくりの幸せで、バランス取るのはできねーの?」
「……ゆっくりの幸せ」
 そーちゃんの瞳がちょっと光ったのを、見逃さなかった。頑張れ、考えろ。もうちょっとで、そーちゃんの心の続きを、もうひと息、つかめるはず。
「えっとだから、ハグするとか」
「だめ」
 いきなりの「だめ」。心臓が一瞬止まった。今までずっともごもごしてたくせに。いやいや、そーちゃんにとっては分かんないよりいいのか、ーーそうどうにかしてそーちゃんに寄り添おうと苦しんでいる間に、そーちゃんが追い打ちをかけてくる。
「それこそ、ドキドキして爆発しそうになるから」
「えっ……」
 えっ? ってそーちゃんも似たような顔を返してきたけど、びっくりするのを止められなかった。
「そんな可愛いカンジじゃなかったじゃん!」
「そう見えないようにしてるんだよ!」
「なんで!」
「照れてるって、可愛いって、言うじゃないか……!」
 それは、言う。言ったと思う。その時、めちゃくちゃヘンな空気になった。それもあって、先に進むきっかけを作れていない。
「それは、悲しいことなの?」
「そんなことは、言ってないだろ」
「じゃあ、幸せなほうのことなの?」
「それは……まだ、考えたくない」
 それはまた、悲しいことが必要になるから? 俺が想像してたよりそーちゃんの心はぐちゃぐちゃで、たまには力ずくで踏み込まなくちゃいけなくても、慎重にしないとあちこち千切れてしまいそうだ。
「じゃあ、ハグは、待つってことで」
「うん……そうしてください」
 あれ、じゃあキスはどうなるのかな。だいいち俺は、二人っきりの部屋で手をつないでいる今だって、ある意味ドキドキすんだけどな。ほんとにヘンな空気になってきたけど、いっこいっこ確かめられるなら、悩みやすくなってきた。
「じゃあ、それほどくっつかないってことでさ。一緒に昼寝すんのとかは?」
「昼に……寝るの?」
「寝んのニガテだからだめ?」
「別に苦手ってほどでは……」
 夜って言う勇気がなくて昼にしたけれど、余計にもごもごされてしまった。めげずに次だ。
「一緒に歌うの……も、やり過ぎがこえーしな。美味しいもの……はダメだ。辛いのはなんかちげー。そーちゃん、あったかいお茶とか好き?」
 CDとかライブのDVDとかをいっぱい借りてきて……なんてできそうなことを必死にひねり出していたら、そーちゃんが肩を震わせた。
「ふふっ」
「え、なんかヘンだった? どれ?」
「ううん」
 ううんって、何がううん? 尋ねたいのに、俺を見上げたそーちゃんが今までで一番幸せそうに笑っていて、何も言えなくなってしまった。
「こういうのかな。……〝ゆっくりの幸せ〟」
 ちょっと待って、まだ不安をほどく方法を見つけられていないのに……。怯んでいる間に、そーちゃんがさっきよりあったかくなった指先で、俺の両手を握り直す。
「しばらく噛み締めていてもいい?」
 そーちゃんが握りあった手を見つめたまま、目尻を下げて、頬を染めた。うん、とすら言ってあげられなかった。可愛くて、たまらなくてーー我慢できずに口づけてしまった。やっちゃった、とすぐ唇を離すと、そーちゃんはわずかにうつむいたまま、ぱちくりとまばたきをする。
 ハグでも焦っちゃうそーちゃんの気持ちに水を差したかもって、ごめんって言いかけたけど、固いつぼみがほころんだような笑顔に、胸がいっぱいになってしまったんだ。
「……そーちゃん」
 やっと絞り出した声が震えて、こらえるためにもう一度口づける。
 そーちゃん、……今は心の中に留めておくけど、涙が出そうな幸せもあるんだよ。