How do you hum?

(2016.11.6発行「How do you sing?」後日談)

 膝の上ですうすうと繰り返されていた寝息が、細波より少し早足になった。壮五も夢を見たりするのだろうか。光を透かした薄色の髪を弄ぶと、同じ色のまつげに縁取られたまぶたが、ふるっと震えてゆっくり開いた。
「おはよ。昼だけど」
「……あ、びっくりした。妙に温かいと思ったら……」
「砂のマクラ、じゃりじゃりしてそーだったから移動させた」
「ふふ。ありがとう」
 壮五は環の腕に捕まって上体を起こすと、姿勢を正してから改めて環の肩にもたれた。体の自由が利かない陸の上なのだから寝たままだっていいのに、いちいち律儀だ。けれど膝が涼しくなった代わりに、壮五の小さな頭が口のほんのすぐそばまで来て、環は気を悪くするどころか、駆け足の鼓動が伝わらないようにするだけで手一杯になった。
「さっき、何か音楽が聞こえてなかった?」
「音楽……? 誰もいねーと思うけど。怖いこと言うなよ」
「そういうのじゃなくて、ふふふー、みたいな……、んん、なんか違うな。んんー」
 壮五は何度か咳払いをすると、んー、ともう一度可愛い唸り声を上げた。
「表現できないな……。君がこないだ教えてくれたメロディだったんだよ」
「ああ、俺の鼻歌?」
「鼻? 鼻で歌うのかい?」
 思わずどちらともなく顔を見合わせる。ぱちくり、とまばたいた壮五の瞳は、幼い頃ポケットに忍ばせたガラス玉みたいだ。
「鼻っていうか、口閉じて歌うの。やったことねえ? ほんとに?」
「な、ないと思う……。おかしいかな?」
「てか、皆できるもんだと思ってた。口笛はできねえ奴もいたけど」
 ふんふんふふん、とデビュー曲のサビを奏でてみせると、興味津々と言わんばかりに目を丸くした壮五が、環の鼻先におずおずと触れる。
「そーちゃんも練習してみたら? すぐできんだろ、たぶん」
「そう……? どうなってるのか全然分からない……」
「そーちゃんて陸では鼻で息してんじゃねえの?」
 試しに壮五の唇を、指で軽く押さえてみる。吐かれた息がためらいがちに、環の手の甲をふうっと撫でた。
「こんまま歌うんだよ。やってみ」
「ん、んんー……」
「喉から出てんよ」
「んっ、ぷは、声は喉から出すものじゃないのか?」
「んー、なんてか、鼻の辺りで歌うカンジ」
「全く分からない……」
 離した環の手を壮五が引き寄せて、薄紅色の唇へと当てた。んー、んー、と小さな声が上がるたび、爪の先に集まった神経がこそばゆくなる。
「あ、待ってまだ……」
 退いた手を引き留められるより先に、ふさいでいたその場所に、自分の唇を押し付けた。壮五が逃げられないのをいいことに、そのまま口内に舌を侵入させると、薄い手のひらが咎めるように環の胸をそっと押した。
 ちゅ、くちゅ、と水音が鳴るたび、二人の隙間から温かな息が漏れていく。それを阻むため、もっと深く、もっと深く、と環はもともと遠くもなかった距離を強引に縮めていった。
「んぅ……待っ、ん、たま、きく……」
「ん、……苦しい?」
「く、るしいよ……」
「やっぱ鼻で息してない?」
「して、るけど……」
 環の肩にへたりかけた壮五のあごを人差し指で持ち上げて、はふ、と荒くなった息遣いを観察する。海の生き物だし、水の中で歌えるくらいだし、壮五自身がなんと思っていたって、やっぱり人間とは違うのかもしれない。
「んっ……ま、って、ったら」
「しんどい?」
「ちょっと、胸が……」
「やっぱヒトとは違うんかな」
「違うというか、君が……」
 結局うずくまるように頭を伏せてしまった壮五の背を、労わるようにさすってやった。壮五はそれにすら驚いたようで、肩をびくっと大袈裟に跳ねさせると、はあっとまた深く溜め息をついた。
「俺がなに」
「だって、いつもそんなふうにしないじゃないか」
「そんなふうって何が?」
「だから、く、口をつけるのを……」
 知らず手は壮五の耳に伸びていた。真っ赤なそこは人間と同じように熱い。
「そ、そーいうのやめて。俺も恥ずいじゃん」
「やめてって、君からしてきたくせに……」
「そーちゃんどこで息してんかなって思っただけだし」
「だから鼻でしてるって言ってるだろ」
「わかんねーじゃん、そーちゃんだもん」
 あ、傷つけたかも、と全身が一瞬強張る。でも取り返しがつかないことも理解していて、とっさに顔を上げさせもう一度口づけた。壮五がわずかに抵抗している環の胸は、それこそ恥ずかしいほどに早鐘を打っているだろうが、壮五も少なからずそうなのかもしれないと思うと、嬉しさのほうが勝った。
 海の中で初めて唇が触れた時、壮五があまりにあっけらかんとしていたものだから、彼にとってはなんでもないことなのかと思った。でもきっとそうではなかった。壮五も環に近づく時、甘い痛みが伴う緊張を体験している。
「んぁ、うぅ……」
 弱ったような声が可愛くてたまらない。もっといろんな声を聴いてみたくて、夢中で下唇のふくらんだところをついばみ、歯茎をくすぐり、歯列を確かめ、唾液を混ぜ合わせた。環より薄く小さな舌は、間違いなく自分と同じ味がする。溶かすようにひたと重ねあわせると、壮五の腕の力が緩んだ。
「んぅ、んんっ、ふぅ……」
 いっそう熱くなった壮五の息が鼻から抜けた。それを聞いて、突然大事なことを思い出した。
「それだ、それ!」
「えっ、なに……?」
「鼻歌、今みたいな感じ! ちょっとそーちゃん、ちゅーしたまま歌ってみ?」
 壮五の白い頬がかあっと赤くなる。今日はめずらしいものばかり見られるなあ、と感じ入っていたら、少々強い力で胸を引き剥がされた。
「からかうならもういいよ!」
「え、なんで!? 今ちょー上手くできてたのに」
「うるさいもういい、しばらく話しかけないでくれっ」
「なんで、せっかく一緒にいんのに」
 腰を一生懸命捻って背を向けた壮五は、両耳を手で覆ってしまった。ダメ元で手首を掴んではみるが、当分その体勢を崩してくれそうにはない。仕方がないので、晒された滑らかなうなじにちゅ、と吸いついてみる。ぴく、と震えてできた隙間を逃すまいと、すかさず火照った外耳に唇を寄せた。
「……じゃあ、話しかけない」
 右手をそっとまわして、引き結ばれた壮五の唇を優しくふさぐ。どこに触れれば、どんなふうに触れれば、またあの声が聴けるのだろう。耳たぶ、首筋、額、鼻の根、触ってみたいところがたくさんある。傷めてしまいそうだからと遠慮していた細い腰や美しい鱗も、少しずつなら許してくれるだろうか。
「……うう……」
「なに? そーちゃん」
「恥ずかしいから、何か言って……」
「何かって、なに?」
 二人の距離は、まだまだ近づいていく。