How do you sing?

 夏とはいえ日が暮れた後、水に浸かっていれば当然冷える。シャツを脱ぎ捨てたのは間違いだったかもしれない。くしゅんと一つくしゃみを飛ばすと、滅多に海面から出ない胸板を寄せられた。
「そーちゃん、意外とあったかい」
「上半身は人みたいなものだからね」
「下半身はなんなの」
「……そりゃ、魚みたいなものだろ」
 脚に絡められた尾びれは、スラックス越しにもひんやりと冷たい。継ぐべき言葉を選んでいる間に、壮五の細腕が首へと回った。
「水中にいたほうが暖かいって聞くけど」
「えっ……」
 どういうこと、と尋ねるより先に、水面の下へと引きずり込まれた。泳げなくはないけれど気が動転して、こんな妖怪いたなあだとか、とっさに役に立たないことばかり思う。あっという間に息が続かなくなって、ごぼ、と大きな泡を吐く。離してくれと訴える前に、闇の中で壮五がやわらかく笑んだ。
「口、開けて」
 水中とは思えないほどはっきり響いた声を頼りに、言われるがまま酸素を求める。入り込む塩水に怯んだのもつかの間、人ならざる唇の先が、環に触れてそっと息吹く。
「んっ……うぅ」
二人の間からこぼれた空気が、光の粒になって天へと溶けた。揺れているのは月明かりだろうか。見とれていたら脇を取られて、また海の外へと引き上げられた。
「……ぷはっ、はあ、あんた……エラでもあんの?」
 壮五は少し頭を傾けると、夜風にさらされた首筋を示した。冗談のつもりだったのに、と驚きながらも覗き込んだが、そこに珍しいものは見当たらない。それよりも、ぼうと白く光る肌が妙に艶めかしくて、環は思わずそこにかぷ、と歯を立てていた。
「ひゃっ、……な、なに?」
「なんかうまそーだったから」
 無邪気な答えを返してやると、壮五は呆れたように眉を下げた。
「なんだか獣みたいだね」
「けもの? クマとか?」
「クマは見たことないなあ。……猫かな」
「おー。なら、たぶん魚好き」
 悪乗りついでにもう一度、無防備なそこへ噛みついた。味わうように舌を当てると、壮五の体がぴくっと跳ねる。
「……っ」
 塩辛い水をちゅうっと吸うと、骨ばった肩がすくんで揺れた。鎖骨にぶつかる吐息が熱い。いつの間にか胸に触れていた指が、しがみつくように爪を立てた。
「ごめん。苦しかった?」
「……別に、平気だけど。水の中ではやめてね」
 ぷい、と顔を背けられて少し寂しくなった。何も本当に食ってやりたいと思ったわけではない。水中で口をつけられて、やはり違う生き物なのだと思い知ったのに、やわらかな肌は人の味をしていたことが、環にはたまらなく嬉しかったのだ。
「ごめんって。ねえ、怒んなよ」
「だから平気だって言ってるだろ」
 壮五の体がすっと離れる。遠い街明かりを反射して、薄紫の鱗がきらっと閃く。導かれるようにその影を追うと、壮五が控えめに振り返ってくれた。
「橋まで競争だよ。勝てたら許してあげる」
「はあ? ちょっ……」
 負けることは分かり切っていたけれど、持てる限りの力で水底を蹴った。たゆたう背だけを見ていると今でも、彼が人ではないなんて信じられない。
「遅いよ。ほら、ここまでおいで」
 優しく差し出された手に鼓動が足を速める。もしも彼が本当に自分の作り出した幻なら、今すぐこの手を取って二人、海鳴りに消えてしまうことだってできた。