視等級3.085

 冬にそーちゃんの買った望遠鏡がもったいないので、グループの周年ライブが落ち着いた頃、また二人で例のキャンプ場にやって来た。
「そーちゃん、星ちょー見える!」
「もう寝てる人もいるから、静かにね」
 久しぶりに背負った三脚がカタカタと鳴る。セーミツ機器は全部そーちゃんに任せてあるから大丈夫。手前の広場を回って奥へ走ると、今日はまだあちこち明かりがついていて、空を眺めている人もちらほらいた。
「流星群終わっちゃったのに人いんだな」
「家族連れが多いね。自由研究かな?」
 ガキの時の俺、絶対こんな時間まで起きてない。それどころか朝顔の観察日記も、確か毎日しぼんでた。二人分の荷物を小屋へ入れながら、俺も大人になったんだな、と思う。
「そーちゃん、どれ探してんの」
 表へ戻ると、冬より格段に手早く望遠鏡を組み立てたそーちゃんが、満天の星とレンズを見比べてうんうん唸っていた。
「アルビレオ。全天で最も美しい二重星って言われてるんだ」
「ほー」
「聞いたことない? “銀河鉄道の夜”にも出てくるんだけど……」
 見てみたかったんだけどなあ、とそーちゃんが天の川に溜め息を投げた。
「こんだけ晴れてんだからどっかにはあるだろ」
「というか……。見えすぎて、入ってるかどうか分からないんだ」
「どのへんにあんの」
「はくちょう座は分かる? この、くちばしのところ」
 ほら、とそーちゃんが星座盤を差し出してくれた。そういえば、夏の大三角形の星の一つは、はくちょう座のものだった気がする。案外近くにあるんだな、と俺も望遠鏡をいじってみたけど、そーちゃんの言うとおり、レンズの中の星たちはあの空のどこにいるのか、何度見ても全く分からなかった。
「なんか、そんまま眺めたほうがキレーな気がする」
「そうかな。……そうかもね」
 そーちゃんも諦めて、後ろに倒れるみたいにごろんと寝転んだ。俺も同じようにすると、二人用のはずのレジャーシートは少し窮屈だったけれど、空が広いから気にならなかった。
 世界中の光を集めたみたいな銀河の内側で、そーちゃんの見たがった宝石星に思いを馳せる。白鳥の居場所は知っているけれど、こんなに賑やかな川の中じゃくちばしはどこなのか、目で見てもよく分からない。
「……ないって分かってたほうが楽なのかな」
 ぽつ、とそーちゃんがつぶやいた。沈んだ声は、夏の夜には似合わない。
「そーちゃん、がっかりしすぎ」
「がっかりしたわけじゃないけど。でも、どうしても探してしまうだろ」
「探しちゃうのって、そんなに悪い?」
「そういうことを言ってるんじゃない。けど」
 さっきから歯切れの悪い台詞ばっかり、風が草を揺らす音に消えていく。
「環くん、寂しくてどうしようもない時は、言うんだよ」
 そーちゃんはさっき否定した言葉のとおり、しょんぼりなんかしていなくて、大きな瞳で一生懸命、俺のことを見つめてた。
「俺、そんなに寂しそうに見える?そーちゃんに心配、かけてた?」
 理のことを言ってるんだとはすぐに分かった。だけど、そーちゃんが言ってるような気持ちは自覚したことがなかったから分からなかった。戸惑うあまり不安になって思わず唇を噛むと、そーちゃんが慌てて取り繕う。
「そんなことない。理ちゃんの話をしてる君は、いつもお兄さんの顔をしてるよ。だけど……」
「なんだ。ならヘーキじゃん」
「でも、君だって我慢することくらい」
「俺はない」
 今度はそーちゃんがびっくりした顔をする。黙ったままでいたらたぶん、きらきらの眼もすぐ伏せられちゃうんだろうな。
「寂しいのはそーちゃんのほうじゃねえの」
 視線を逸らされてしまわないよう、だけど驚かさないようなるべくそっと、そーちゃんの頬に手を伸ばす。努力はあんまり報われなくて、頼りない肩がびくっと震えた。
「そーちゃん、おじさんいないの、やっぱり寂しい? いないほうが楽って思い込みたい?」
 上手く言葉が選べない。思い込む、って表現はそーちゃんを傷つけるかなとも思ったけれど、そーちゃんは眉間の力を少しだけ抜いて、頬に自分の手を重ねてくれた。
「寂しがったりはしないよ。叔父さんがいないこと自体には、もう気持ちの折り合いはついてる」
「うん……。だよな。それはわかる。上手く言えねえけど、俺もおふくろのこと、そうだもん」
 じゃあ何が寂しいんだろう。ゴールは分かるのに道が見えない。それこそ宇宙からたった一粒の星を探すみたい。絶対そこにあるはずなのに、どこにあるのか永遠に知れない。
「そーちゃんは、俺が理のこと探してるの見ると、余計に寂しくなるのかな……」
「そんなふうに思ったことはないけど。ただ早く一緒にいられるようになればいいと思ってる。理ちゃんを忘れたこと、ほんの一瞬だってないだろ」
 君は意識してないのかもしれないけど、忘れられないのはやっぱりつらいよ。――そーちゃんはそーちゃんで言葉を選びながら、俺の気持ちを必死に探してくれている。
「でも俺、忘れたくねえよ」
「そうだけど、そうなんだけど……だから早く解決すればいいと思うわけで……」
 考え込んだそーちゃんがついにうつむき始めて、居たたまれなくなった俺は空へと視線を戻してしまった。
「なあ、やっぱあのへんの中であれが一番明るいよな」
「……どれ?」
「あれ。青っぽいのみっつタテに並んでるののちょっと左」
「青……?」
 手だけは離しがたかったから、逃げられないうちにしっかり握って、二人の顔の間に寝かせた。空いた手で天を指差すと、そーちゃんも虚ろだった目を光のほうへ向ける。
「ほら、左の白いの」
「白……」
「そーちゃんもしかして全部白に見えてない?」
「そ、そんなことない。あれかな?」
「どれ?」
「白いのだろ。すぐ左下に、橙色の小さな星がある」
「あるか……?」
「でも、あれだと思う……。距離的にも」
「俺もあれだと思う」
「うん……」
 二人でほうっと、溜め息をついた。星座盤と空をどんなに見比べても、もうすっきりできる気がしない。
「……これからこういうこと、いっぱいあんだろな」
 ぽつ、とつぶやいた声に、疑問符は返ってこなかった。代わりに細い指が俺の指をきゅっと握った。視線は変わらず空を見ていた。
「同じ話してんのに、違うもの見てたとか、同じもの見てたのに、違うふうに見えたとか……。同じか違うか、考えても分かんないんだろな」
「分からないのに、昔の人はこうして地図を作ったんだね」
「ユーキあるよな。これが正しいってどうやって説明したんだろな」
「ええと、空にも緯度や経度みたいな座標があって……地球の地軸を……」
「あ、いい。そーいうのは」
 ごろんと寝返りを打ってそーちゃんの様子を伺うと、やっぱりちょっとだけむくれてた。固い地面に頬杖をついて、去年より少しだけふっくらした頬を見つめる。
「ねえ、そーちゃん、ほんとは何考えてるの」
「何って……別に、嘘をついたりはしてないよ……」
「それは分かってっけど、でも、そーちゃんの言ってることてんでバラバラで、ほんとは何が寂しいのか分かんねえよ」
「だから寂しがってなんか」
「なくない。寂しそう。でもなんでなのか分かんない」
 そーちゃんは仰向けに転がったまま、上目遣いで俺を見た。たまらず額に唇を落とす。大事な話をしてる途中に、目を合わせ続けられない弱さを許してほしい。
「分かりたいから、ちゃんと見て。そーちゃんもそーちゃんのこと」
 それだけはなんとか目を見て伝えた。そーちゃんは逃げることなく、俺を見ていた。そーちゃんのこういうところが好きだと思う。好きで、俺には無いところだなって。
「バラバラなんかじゃないよ。君にも僕のこと、ちゃんと見ていてほしい。僕も君のこと、見てるから……」
 いつも自信なさげにしているくせに、この人が身一つでこの世界へ来れたのはきっと、こういう頑なさがあったからだ。周極星を見失ったって、これが正しいはずだって信じて、それだけを目指し続けてきたから、迷っちゃっても気付かないんだ。
「そーちゃんてホントとんちんかん……」
「なんだよ。僕は真面目に」
「んー、分かってっけど、俺のことばっか見てっから、俺のことばっかになっちゃうんだろ」
 そーちゃんの心の中も、星くずがいっぱいで、どれが嬉しくてどれが悲しいのかとか、たぶん分かんなくなっちゃってるんだ。俺がそーちゃんの心の中を覗けたら、これはこんな色、これはこんな色に見えるよって、教えてやれるのになあ。でも、俺が名前をつけちゃダメなんだろうな。そーちゃん自身にはどんなふうに見えるのかなんて、結局そーちゃんにしか分からないんだから。
「うーん……」
「ふふ」
「なんだよ」
「ううん。何考えてるのかなって」
 どうしたらそーちゃんのこと分かんのかな……って、言ったら「君も僕のことばっかり」って笑われるんだろうな。そういうのとは違うんだけどなあ。悩んで唸るばっかでいたら、そーちゃんがくいっと俺の髪を引っ張った。
「ふふふ」
「今度はなに……?」
「環くん、こっち見て」
 言われるがまま、寝転がったままのそーちゃんの瞳を覗き込む。紫色に星空が映ったみたいに見えて、思わずぱちくりとまばたきをする。さっきまであんなに切なそうな顔をしてたくせに、唇が三日月みたいに笑ってた。
「同じ色の星が見えない?」
 相変わらず何言ってるかよく分かんないから、ちゃんと星座盤に描いといてほしーな。