そーちゃんのイス

 女の子に興味がないだなんてもったいないよ。環くんも僕も応援してくれるファンのために毎日頑張っているけど、心の奥の部分は誰かひとり、大切な人を座らせるために空けてあるんだ。
 環くんが選んだ、一番好きな人を座らせてあげていいんだよ。もしかしたら、今は環くん自身が座っているのかもしれないね。でもいつか、そこを誰かに明け渡したくなる時が来る。その時は、僕にも教えてほしいなあ。
 ――なんてうっとり語ったそーちゃんはとっても可愛かった。バカにしてるとかじゃなくて、カメラや取材のヒトの前でも、そんな顔したらいいのにってこと。
 最初はもちろん嬉しかった。「俺しか知らないそーちゃん」だと思った。だけどだんだん、ヘンだって気づいた。こいつ、俺のこと気にしてばっかのくせに、自分のこと全然楽しみにしてない。
 そーちゃんは今日も順調に、雑誌の取材に当たり障りのない答えを返してる。「バレンタインにチョコがほしい相手はいますか」、「憧れますね、そういうの」。
「で、どうなの。ほんとのところは」
 楽屋でそーちゃんに毎回こんな質問をしていたら、最近は俺向けの答えを用意してくれるようになった。嬉しいような、むなしいような。というのも、聞いて取材と違う答えが返ってきたって、それが本心なのかタテマエなのか俺にはどうせ分かんないから。
 それでもそのモヤモヤに負けるのが嫌で、意地張ってずっと問答してきたのに、今日は明らかに様子が違った。
「憧れるよ」
 目を合わせもしないで一言だけ言われた。カバンを整頓する横顔がもっと奥深くを見ているみたい。チョコなんてもらってもろくに食べられないくせに、そう言って困らせてやるくらいのつもりだったのに。
「そーいや、そーちゃんのイスには誰が座ってんの? 座ってないならなんでそーちゃんが座んないの?」
 そもそもなんでイスの話になったんだっけ。記憶をたどっていたら、きょとんとしたそーちゃんと目が合った。
「イス……?」
「あれ、イスじゃないっけ。なんか座るとか、座んないとか」
「ああ……、そうだね。確かに、イスみたいだ」
 イスじゃなかったのか。というか、なんでもよかったんだな。でも俺は分かりやすいほうがありがたいので、そーちゃんが教えてくれた心の奥の場所を、こないだから「イス」って呼んでいる。
「僕のイスにはちゃんと僕がいるよ」
「うそつけ」
「……そう見えるかな」
 あ、悲しそうな顔をした。さっき様子がおかしかったのもおんなじ理由かな。傷つけたのかなあ。いつも何かするまで俺は気づかないんだな。――なんて、今は落ち込んでいる場合じゃない。そーちゃんがそーちゃんのイスに座ってないのなら話が早い、コウツゴー、ってやつだ。
「俺、俺のイスに俺以外の誰かを座らせていいなら、そーちゃんがいい」
 そーちゃんが返事の代わりに、薄紫色の瞳をいっそう丸くする。カバンを整頓する手がぴたりと止まる。そもそもそのカバン、さっきから中身の位置を入れ替えてるばっかで、余計にぐちゃぐちゃになってるかんな。
「ええと、……どうして、そこで僕が?」
「そーちゃんなんてさ、どうせイスごと誰かにあげちゃったんだろ。いいじゃん、俺んとこ来れば」
「言っている意味が分からないけど」
「最初にイスとか言い出したのはそーちゃんだろ。あれ、俺だっけ?」
 混乱していたらそーちゃんがふふっと噴き出した。少しむっとするけれど、笑ってくれたから許してやる。
「えっと、ごめん。イスに例えたのが悪かった」
「別になんでもいいだろ。なんでもいいなんてこと、分かってるくせに」
 俺はバカだけれど、これでもそーちゃんのことくらいなら、少しずつ分かるようになってきている。一方のそーちゃんは、あきらめがついたみたいに頭を掻いた。ああ、これははぐらかそうとしているやつだ。
「君の気持ちは嬉しいよ。ありがとう」
「ありがとうって顔じゃあねえよな」
「そんなこと言わないでくれ。もし僕が君の心の中に招き入れてもらえるのなら、すごく、すごく嬉しいことだよ」
「……ほー」
 そっか。そっか。思わず自分の胸に両手を当てる。そこに心があるのかなんて知らないけれど、今の話はイスよりはしっくりきた。俺だってそーちゃんの心の中を少しだけでも覗かせてもらえるのなら嬉しい。そんな日が来るのかは分からないけれど、想像するだけでなんだか泣きそうだ。
「でも、僕はね。そこにイスがあるとしたら、そのイスを、離れたところから見守らせてもらえるだけで十分だよ」
「十分って、何が?」
 すぐにまたわけが分からなくなって、そーちゃんの言葉をひとつずつバラバラにして考えてみる。十分って、どういう意味だっけ。俺の国語力をフル動員させてみるにつまり、満たされてる、ってことだと思う。
「……わけ分かんないんだけど、やっぱ」
「いつか分かるよ」
「分かんねーよ。俺はそーちゃんを一番にしちゃだめなの?」
「そういうことじゃないよ、環くん」
 もしかしたら、そーちゃんの一番は俺じゃないのかもしれない。でもそれは俺が決めることじゃないし、そうしてって騒いだって仕方がない。そんなことを、そーちゃんと出会ってからこっち、ずっと考えて、学んできた。
 でも、俺の一番をそーちゃんにしちゃだめ、と言われるのは、思ってもみなかった。俺が決めていいことだと思ってた。そしていざそう言われているのだと思い知るとすごく、きつい。俺がそーちゃんを座らせたくて空けた場所は、この先どんなふうに扱ったらいいんだろう。
「あのね、環くん。一番を決める席ではないんだ」
 いつの間にかこぼれた涙を、そーちゃんが慌ててハンカチで受け止めた。そんなもん落っことしときゃいいのに、ヘンなの。
「でも、そーちゃんが一番なんだけど」
「言いたいことは分かるよ」
「分かってねえよ」
「分かるよ、僕も環くんが一番だ。でもそれは」
「『でも』が続く一番なんて一番じゃねえよ」
 言ってて悲しい。でも、それはいい。だってそーちゃんなんて俺のこと、何と比べて一番だって言ってんだよ。その場しのぎの甘い言葉だって分かってるから、本当に、いいんだ。――でも。
「そーちゃん、俺の一番になるのが、怖いんだな」
 そーちゃんが大きな目をはっと見開く。知らなかったって顔じゃない。かといってバレた、って顔でもない。
「俺がなんも分かんないと思ったら大間違いだっつの」
 俺が強がるに従って、俺の頬にハンカチを当てたそーちゃんの指が力をなくす。しばらくはばつの悪い気持ちでいてほしい。俺がこの後どうすればいいのか、答えを出せるまでなんとかごまかしていたい。
 ただ黙って睨み合うのには耐えられなくて、なんとなく俺もカバンの整頓を始めてみた。と、底のほうに見慣れない小箱が転がっている。そういえば、こないだドキドキしながら買ったのに忘れてた。
「これ、あげる。なんか、友チョコとかいうの、あるんだろ」
 この言葉でそーちゃんが安心するのかどうかは分からない。けれどこの空気を壊せるのならなんでもよかった。こういうところ、どうしてか俺は打たれ弱い。もしかしたらそんな俺だから、そーちゃんはまだ、戸惑ってしまうのかもしれないけれど。
「あ、ありがとう……」
「おー。ニガテだろうけどちゃんと食えよ」
「ありがたくいただくよ。君に何かを買ってもらえるだなんて」
「可愛くねえこと言うと、没収すんぞ」
 ごめんごめん。そう笑ったそーちゃんにほっと一息をつく。空いたイスに座り直す気は到底起きそうにはないけれど、金色のリボンがかけられたそれの行方を見届けることができたから、これ以上は欲張らない。
 ねえ、そーちゃん。そーちゃんもそーちゃんが憧れた通りいつか、誰かのチョコがほしいと思う日が来るといいな。