そういう未来

 舞台袖から覗く光の向こうの、歓声の大きさはいつも通りだ。僕たちが歌う曲も変わらない。「生まれ変わるための曲」だと言って託された、運命の恋を歌う歌。
「あ、環くん……立ち位置が逆だ。今日は左側にいるから……僕が先に出るよ」
 前のめりになっていた環くんの腕を引っ張って、数歩後ろへ下がらせた。もともと口数の少ない環くんが、いつにも増してぼんやりしている。しかし無理もない。今日は、理ちゃんとの再会の後――隠し事をめぐって環くんを傷つけてしまった後の、初めてのステージなのだから。
「そーちゃん、寒い?」
「えっ? 大丈夫だけど……環くん、寒い?」
「俺のハナシじゃなくて。そーちゃん、震えてる」
 振り向かされるなり、ぎゅっと両手を握られた。本当だ、とつい他人事みたいなつぶやきが漏れる。
「はは、緊張してるのかな……」
「笑うなよ」
「ごめん。失敗しないよう気を付けるから」
「……そーじゃなくて……」
 環くんはもどかしそうに舌打ちをしたけれど、握った手は離さないままだった。なんだか「上がらないおまじない」みたいで気恥ずかしい。何をも解決できないまま、とりあえず時間を確認した。出演まで、ほんの少し猶予はある。
「環くん」
「ん」
「あのね……。……答えたくなかったら、答えなくていいよ。けど、なんて言ってくれてもいい」
「早く言えよ」
 暗闇の中、目を見た。この問いが、僕をひとまず許すと言ってくれた彼を、再び傷つけることがないよう祈る。
「僕と歌える?」
 今言うことじゃないのは分かっている。だけどずっと怖かった。その気持ちを押し込め切るつもりでいたのに、本番直前で見透かされるなんて情けない。
「歌うのは……仕事だから、できる」
「うん。ありがとう」
 残酷だけれど身に余るほどの答えだった。汗ばんだ手は僕のほうから離した。もう十分だろうと、改めて舞台へ体を向ける。その背後から環くんが僕を抱き締めた時、あまりに急だったから泣きそうになった。

『ここさ、この英語さ、二人が出会ったのは運命ってことだろ。どういうこと? 決められてることって、そんなに特別?』
 この曲を受け取った日から、デビュー曲の時とはまた違った、二人だけの時間が始まった。正式に「MEZZO”の曲」として受け取れることが、こんなにも嬉しいものだったなんて知らなかった。ドラマもあったから、一緒にいる時間が必然的に増えた。毎晩どちらかの部屋で、合宿みたいに練習や話し合いを重ねるのが、仕事のためということを忘れるくらいに楽しかった。
 楽しかったけれど、「生まれ変わる」という言葉の意味は、よく分からないままだった。せめて歌詞を極限まで掘り下げようと、出てくる単語について調べ尽くしたりもしたけれど、ほんの小さな一節でつまずいて、今でも気持ちがそこで引っ掛かる。それでも二人なりの答えを見つけようと、何十回も何百回も声を重ねてきた。
 そんな大切な時間を全て、自分の愚かさでめちゃくちゃにした。
「……時間だ」
 何も言わないままの環くんの腕を、僕も何も言わないままほどいた。足を踏み出す前に今一度振り返る。
「『運命』の意味が分からなかったら、理ちゃんのことを思い出すといい」
 表へ出たら、お互いこんな顔はやめだ。約束を兼ねて、揺らぎそうな視線をぴたりと合わせる。
「どんな邪魔が入っても、彼女自身がためらっていても……ちゃんと会えただろ。きっと、そういう未来のことを言うんだよ」
 行こう。演出上普段はしないけれど、ほんの少しだけ、手を引いた。その時環くんがどんな顔をしていたのか、僕は知り得ない。
 二人の歌唱も、ダンスも、もちろん客席の賑わいもいつもどおりだった。前奏が流れ始めた瞬間から、揃ってきちんと笑顔でいられた。
 誰かの恋を、祝福するように歌い上げながら、心の裏側で考える。僕は、君との出会いは運命じゃなくてもかまわない。自分の道は自分で決める。君と歌うステージは、かつてそう誓ったことの証だから。
 だけど本当は君が、さっき僕の怖れを見透かしたみたいに、僕の嘘も暴いてくれたらよかった。

 歌い終えた後は大体余韻に浸っているから、会話をすることはあまりない。いつもなら挨拶をしつつ楽屋へ戻るところなのに、環くんは袖でもう一度、僕のことを包むように捕まえた。
「……理が俺の『運命の人』ならさ。おじさんは、そーちゃんの『運命の人』だったと思う?」
 先ほどの話の続きだとすぐに分かったから、ちゃんと聞いた。聞いたけれど、声一つ上げられなかった。今度は、環くんの手が震えていたから。
「俺ら、仕事じゃなかったら、会えなかったかもしれないけど……俺、何回生まれ変わってもこの仕事やるから。歌ってるから、会いにきて」
 普段口うるさいとばかり怒られているくせに、喉が詰まって言葉が出ない。反して口下手な環くんは、いつか嬉しいことを僕に報告してくれた夜みたいに、僕の顔なんか見やしないまま、あどけない声で懸命に話す。
「俺のこと、一人ぼっちになっちゃったそーちゃんの『運命の人』にして。そしたら、もうあんな隠し事しなくても、一緒にいるから……」
 環くんが顔をうずめた肩口で、鼻をすする音が聞こえたけれど、衣装の心配なんかできなかった。今こそ、彼が僕の代わりに泣いているのだと思った。――こんな人間を許す大人にはならないで。そう言わなくちゃいけないのに、君の誓いに救われたい。
 そうしていつか晴れやかな顔で、この曲を「僕らの歌だ」と言えたらどんなにいいか。